神について思う

日本人は、真の信仰の意味を知らない

私にとって神は、特別な存在でも非日常的存在でもありません。
ごく日常的で当たり前な存在です。

日本人にとって神というのは、人知を超えた存在。超人的な存在です。
日本人にとって神というのは、自分の願い事や希望、困った問題を解決してくれる現世利益の対象でしかない。
だから、日本人は困った時の神頼み。合格祈願とか、病気平癒、商売繁盛、護国鎮守などをいのり、叶えてくれればお礼参りをし、叶えてくれなければ、簡単に他の神様に乗り換えてしまいます。
神は、絶対ではなく。人間の都合でいかようにも変わる。御都合主義的な存在に過ぎない。
神も隣人のような人格を持ち、感情を持っている。泣いたり笑ったりもする。

しかし、唯一絶対なる神に対する信仰は、そんなに生易しい事ではありません。
自分の存在をかけた問題なのです。
一神教徒にとって唯一絶対的な存在に背くという事は自分の存在そのものを否定する事だからです。

一神教徒にとって願いを叶えてくれないなら信じないなんて相対的な存在ではない。
神は否定しようのない絶対的な存在なのです。

しかも、神は善も悪も超えた超越者です。
何が善で何が悪かは、神以外にはわからない。
これが信仰者にとって悩ましいところなんです。

唯一絶対な神に対する絶対的信仰によるから人間の価値観・倫理観の深層にまで至る。
嫌だから辞めるとか、駄目だったら変えるという事は許されない。
そんな曖昧模糊とした存在ではない。圧倒的な存在が神です。

日本人は、せいぜい言ってバチが当たるといった程度の事であり、
一神教徒にとって問題なのは、罪と罰であって自己の存在意義にかかわる問題なのです。

唯一絶対なる神を信じるという事は、常に、自分の行いを神に問い続ける意味するのです。
何が正しくて何が間違っているかは、神に問うしかない。
しかし、神は沈黙する。そうなると人は内面の真実を追求するしかなくなる。
何が正しくて何が間違っているかは、何を信じているかによって決まる。
だから、モンキー裁判のような事が真しやかに起こる。
そして、祈り。祈りが重要な働きをするのです。

全知全能の神ならば、我々が生まれる前から我々の神は、運命を知っているのではないのか。つまり、人間は、生まれる以前から運命が定められているのではないのか。
だとしたら人間に自由意志というのはあるのか。この問題は今でも、決定論か、非決定論かと、宗派や社会を二分するほど、真剣に議論されています。「神は、サイコロを振ったりはしない。」とアインシュタインも言っています。

仮に神は善悪をも超越した存在であり、全知全能な存在だとしても、人間がそれをうかがい知ることができないとしたら、それはないも等しい事です。だとしたら、神を信じ、自分が善とすることを突き詰める以外に生きる術はありません。だから人は神を必要とするのです。神を信じる以外に救われないのです。

神は、善悪を超えた存在。
善悪は、自己の問題。
神は闘うなとは言われない。
ただ神のために戦うといっていても神は沈黙する。
神のために戦くのではなく、神を信じて自分のために戦うのである。故に、その報いは人が受けなければならない。
何が正しいか、何が間違っているかは、常に神に問わなければならない。
もし心にやましい事があれば、神に懺悔し、許しを請い、悔い改めなければならない。
この前提がなければ民主主義は成り立ちません。唯一絶対的神にたいする信仰があるから、世俗的権力を超える事ができるのです。
神を信じるというのは、個人の自由の問題です。神の意志を感じてもそれに従って生きるかどうかは、個人の自由です。信仰とは、それ以前の問題です。つまり、神を信じる信じないは個人の問題だからです。

自由という意味は、神の意志と無関係には論じられない部分があります。それが現在フランスで起こっているイスラム教徒のスカーフの問題であり、肖像の問題です。ムハンマドの肖像を漫画化して侮辱する事は自由なのかという事です。

この様な信仰者は、常に自分の行動の正当性を神に問い、検証する事が求められます。
それが信仰であり、科学や民主主義の根本にあります。
また、契約、世俗的な契約も神との契約を介する事で保証されます。人は信じないが神との誓約は信じる。
それが一神教徒のビジネスです。
その事を理解している日本人限られていると思います。

神を信じるから人は迷いから救われるのです。



神は無分別
不完全な人などいない
信仰は感謝
神について
神と迷信
神のみを恐れる。
神か死か
何も怖れるものはない
信仰は純粋の個人の問題
神は常にそばにおられる。
そっと手を合わせてごらん

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