2001年1月6日

神について思う

神か死か(W/N氏への返信)




僕は、ふと思ったんです。
宗教の主要テーマは、「死」なのかなと?
僕の主要テーマは、「神」なんですよね。
確かに、宗教の主要テーマには、「死」への恐怖や「死後の世界」があるんです。
しかし、一神教徒達の追求し続けてきたのは、不変的な真理と自己の救済であり、
言われてみると
それが、東洋的なるものとの違いでもある気がします。

東洋人にとっては、「死」と「死後」の世界の方が神よりも重要なんですね。
それも、直線的な生と死の関係ではなく。輪廻として循環的な生と死の関係ですね。
東洋人にとって死後の世界というのは、もっと生々しい存在ですね。
死後の世界というのは実在している。生まれ変わりという言葉に、違和感がない。
死後の世界に臨場感がある。
つまり、死んだ後の世界というのは、現世の延長線上にある。
まあ、続きみたいな世界で・・・。
それに対して、一神教では、裁きの世界ですよね。
現世とは断絶した世界だと思うんです。

その辺の感覚が東洋と西洋とでは違うのかなと・・・。
僕は、神の存在を要請することによって自分の哲学に
信仰というアンカーを精神の奥深いところに降ろしたんですね。
そうしないと定まらないから・・・。
弱いんですよ。

同時に、死というのは、僕にとって二義的なんですね。
だから、霊感的という部分は、あくまでも二義的でしかない。
奇蹟も・・・。

最近、易経に引かれているんです。
易経に引かれる理由も占いと言うことよりも
易の持つ不変的真理みたいな部分に引かれるんです。
因果でいえば、結果ではなくて、原因の方ですね。

宗教とは何か。その辺が難しいですね。

死後の世界だとすると死を怖れる理由ですね。
無神論者というのは、即物的な部分で信仰を捉えがちなんですけれど、
特に、この傾向き、日本人に多い気がします。
死んだらお終いって。
だから、神も仏も関係ない。
迷信なんですよ。

日本人の信仰は、
神に現世利益とあの世、彼岸に行く為にと言った理由ですね。

それに対して
やっぱり、キリスト教やイスラム教、ユダヤ教徒は魂の救済ですね。
根底には、原罪意識が働いていると思うのです。
私も信仰の 根本は、不変性と魂の救済にあると思うんですね。
でも、それ以外の宗教、それ以前の宗教は、もっとあっけらかんとしているように思えますね。
生きているうちは、現世利益であり、
死んだら極楽へいきたい。少なくとも地獄にだけは行きたくない。

つまり、神に見返りを求めるような・・・。
良い例が、お賽銭ですけれど、お賽銭というのは、一種の投資ですね。
お賽銭という発想そのものが、どれくらい御利益くれるという感じですかね。
お願い事に主眼がある。
泉に投げ銭するのも、また来れますようにでしょ。
御報謝ではない。奉仕と言う意味も稀薄ですよね。
恩返しというのも何かに対する恩返しですからね。
元がある。

でも、向こうの慈善というのは、ひたすら与え尽くすでしょう。
マザーテレサのようにね。
それが凄いなというか、違うなと思うんですよ。
あのイスラム過激派のテロもそうですけれど・・・。

僕も東洋が劣っているとは思わないんですが、
何か、本質的な差を感じるんです。
それが東洋と西洋の間に目に見えない溝をつくっている気がしますね。
それが何かというと
死生観の中にある輪廻転生思想と歴史主義的捉え方ですね。
東洋の人間は、人生失敗しても生まれ変わってやり直せると思っている節がある。
靖国神社でまた逢おうみたいに・・・。
それに対して、一神教徒は、一回しかなくてやり直しがきかない。
その根っ子のところに神がいる。
絶対なんですよ。神は・・・。
神って鬼のように怖い存在ですよね。
死んだら後がない。間違いは許されない。
しかも、常に神に監視されているような、切迫感を感じる。
だから何かというと神に許しを請う。
行動に表さなければならない。
東洋的なおおらかさが感じられない。
その反面、緊張感がある。
どっちが良いかは解りませんがね。
僕は、東洋的な世界の方が好きですね。
日本人の言う神というのは、そう言う絶対的な存在ではなくて、困った時に助けてくれるみたいな。
だから、困った時に助けてくれないとすぐに改心してしまう。
何かと、不満を漏らす。

日本人にとって神というのは、こういう言い方は変ですが、親や親戚のように身近な存在だという気がしますね。




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