神について思う

不完全な人なんていない


私は、思うのです。
不完全で相対的なのは、自分の意識、認識であって、存在は、不完全でも、相対的でもない。
存在は、完全無欠で絶対です。存在には、不完全な存在はない。
対象というのは無分別なものです。しかし、それでは、対象を識別できない。だから、意識が働いて対象を分別する。分別した瞬間から対象は、不完全で、相対的な事になる。しかし、それは自分の意識の働きであって対象には何の関係もない。

自分を裁くのは自分の分別です。人間の罪は、分別によって生じる。しかし、分別がなければ、人は世界を識別できない。
そして、善悪の本質は自己善です。善悪に囚われたら人は救われなくなる。なぜなら、人の認識は本質的に不完全で相対的だからです。
だから自己を超越した存在、無分別な存在でしか、自己を浄化できない。
人は、自分で自分を許す事ができない。自分の過ちを認めなければ悔い改める事もできない。
だから自己を超越した存在、神を求め、神に許しを請う。
神を求めているのは、人であり、神が人を求めているわけではない。
求めてもいない人のために神が働くのは、神の愛ゆえです。

自分の信じる神は、自己と一対一の関係しかない。自己と神との間を隔てるものは何もない。
ただ、神と対峙し日々の行いを顧みて悔い改めて神の許しを請う。それが私の信仰です。





貴方だけの神
責任は、生き甲斐の源
神について
なぜ生きるのか
絶対的権威
信仰
信仰U
神はすべての前提
神はすべてをお許しになる
神は唯一の存在
何が正しくて何が間違っているのか

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