2013年10月23日 11:07:32

神について思う

神は全ての前提である。


神は、全ての前提である。
自己は、全て認識の前提。

神は始原である。
神は原点である。
神が存在しなければ、何も存在しないし、存在できない。

自己は認識の始まり。
自己が存在しなければ何も認識できない。

人には、始まりがあれば、終わりがある。
神には、始まりもなければ、終わりもない。
神は無限であり、無尽であり、無窮である。

人には、自他がある。
神には、自他の別はない。

人には、善と悪がある。
神もは、善も悪もない。

人には、美と醜がある。
神には、美も、醜もない。

人には、表裏がある。
神には、表裏はない。

人には、貴賤がある。
神には、貴賤はない。

人の体に貴賤の別はない。
人の体にきれいなところと汚いところはない。
何がきれいで、何が汚いと感じるのかは、人の意識である。
肛門が汚いとか、頭は尊いというのは人の意識の問題である。

人には、真と偽がある。
神には、真もなく、偽もない。

二にして不二。
不二にして二。
二とするのは自分であるが、本来二つに分かたれいるわけではない。
しかし、二つに分かたれていないからと言って、二ではないと決めつける事はできない。
神は無分別である。

神を前提とするから、自己の意識は拓ける。
自己の意識が拓けなければ、世界は、実現しない。

朝、目を覚ました時、目を開けるとそこに神の世界が拓ける。

どの様な世界だとしても
それは、神を前提とするから成り立つ世界なのである。

神は全ての前提なのである。

科学であろうと、技術であろうと、先端医療であろうと、
数学であろうと、天文学であろうと、バイオテクノロジーであろうと

全ては神を前提に成り立っている。

神は、男と女の関係関してとやかく言ったりはしない。
神は沈黙する。
しかし、男と女の別があって、
一組の男と女が睦み合わなければ、
子供ができない仕組みしているのである。
男と女の関係をどうするのかは、人の問題である。
愛も、別れも、憎しみも人間の問題である。
神は非情である。
故に、神の愛は惜しみなく注がれるのである。

神は無責任である。
責任は人にある。
幸せになるのも、不幸になるのも、責任は人にある。
責任が自分にあるからこそ、人は、幸せにも、不幸にもなる。
責任は脳みそにあるわけではない。
責任は自分の心にあるのである。

神は全ての前提であり、
神は絶対である。
全ての前提であり、絶対的な神が沈黙する。
故に、言論の自由は成立するのである。



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