2001年1月6日

神について思う

神 話1


 神話は、一つの世界、遙かな過去の記憶、未来への暗示、人間社会への啓示である。

 我々は、神話というと在りもしないお伽噺のような話だと決め付けている。民話や伝承、伝説、昔話の延長に過ぎない。しかし、神話は、ただ単なる作り話ではない。そこには、祖先の知恵や知識が秘められているのである。

 神話の世界は、人類、民族の原風景なのである。

 神話を迷信と侮(あなどる)るのは、間違いである。そこには、現代人への示唆、警鐘が隠されている。

 現代人は、神秘と言うものを受け容れなくなった。迷信と言うけれど何を持って神話を迷信というのか。確かに、神話の中には、一見、迷信と思えるものもある。しかし、だからといって神話の全てを迷信と決め付けるのはおかしい。

 神話は、現世の写しである。この世の有様を映し出す鏡である。人間の世間の縮図である。だからこそ、この世の秩序の源なのである。掟の根拠である。

 神話は、我々の日常生活の中に生きている。例えば一週間を七日とし、一日を休日にするというのも創世神話に基づいている。神話の魂は、我々の慣習や慣行に息づいているのである。そして、慣行こそ、法の素なのである。

 神話には、文脈があり、象徴があり、文法があり、そして、構造がある。その文脈、象徴、文法は、我々の潜在意識の働きかける。

 現代人は、物語というものの意味を見失ってしまったのではないだろうか。物語の中に秘められた伝承や教訓、そして、思いが理解できなくなってしまった。

 進化論もビックバンも神話の一種だと考えられる。その一番最たるものが、科学的社会主義、唯物論、即ち、共産主義である。あえていえば、共産主義こそ、現代の神話である。又、共産主義的神話、唯物論的神話、科学的神話が、思想界を支配したから、現代社会がこれ程、荒廃し、殺伐としてしまった。文学的な神話のほうが、余程、温もり、文化がある。

 進化論も、ビックバンも、一種の神話みたいなものにすぎない。ただ、科学という衣を纏(まと)っているために、合理的に見えるけれど、古代から伝承された神話には、神話の論理があり、それはそれで合理的なのだ。そして、その論理は、掟や法の基礎をなしている場合が多い。
 川に神がいて、山にも山の神が入る。そして、その川の神や山の神を怖れ、敬うから山の木を無闇に切ったり、川を汚したりしない。山の木を切るときは、山の神に祈りを捧げ、許しをえてはじめて木を切った。木を切った切り株には、挿し木をして、木の霊に祈りを捧げた。そう言った、本能的な畏敬心が、自然を乱開発から守ってきたのである。科学には、その様な敬虔さはない。

 日本人が日本の神話を大切にしていたら、日本の自然はこれ程、破壊されなかったんではないのか。山に入る時は、山の神に祈り。木を切るときは、切り株に挿し木をする。川を汚さず、海を怖れる。それは日本人の心が生み出した神話の論理に基づくのであり、科学的合理精神ではない。日本人は、自然を尊び、その大切さを経験的に理解していたのである。闇雲な開発が何を招くのかを身を以て知っていたのである。いかに、科学的に説明が付いたとしても、自然の力を解明し尽くしたことにはならない。
 案の定、乱開発によって日本の国土は荒廃し、かつての日本の自然美は失われてしまった。
 神話の多くは、夜、創られる。闇に潜む、目に見えない何ものかを感じ。星空に夢を託す。それこそ、人間、本来の魂の世界である。生命の息吹である。
 生命の神秘も、大自然の摂理も何も解明されていない。生病老死の苦悩から、人間は解放されていないのである。そう言う意味では、人間は何も解ってはいない。わかったつまりになっているに過ぎない。
 だから、科学といえどもその本質、根源にあたる部分は、神話と変わりないのである。わかっているようで、わかっていないのである。
 何でもかんでも白日に曝さないと気が済まない、科学の方がずっと野蛮である。わからぬ世界をわからないままに想像をふくらませる神話の方がどれ程、文化的であろう。本来文化というものは、人間の創造力の上に成り立っているのであるから・・・。

 神話は、暗喩、比喩に満ちている。それは暗号のようでもある。あからさまにしないからこそ、隠された力を発揮できるのである。

 春の節分、夏の七夕、秋祭り、そして正月と日本人は、日本人は、四季の変化を愛で、その季節、折々の儀式や祭りで、自分達の生活を律してきた。それを迷信と言って片付けられるであろうか。


神話U
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神の前に
無名
暗闇にこそ神はおられる
勧善懲悪
神と迷信


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