神について思う

一神教と民主主義


なぜ、キリスト教国において民主主義が成立したのか。
これは何も偶然によるわけではない。

一神教であるキリスト教国において民主主義が成立したのは、それなりの意味がある。
第一に、世俗的権力を唯一絶対的なものとして容認できないと言う点である。
第二に、個々人、主体を超越した存在を前提としていると言う点である。
第三に、超越者としての神を唯一絶対な存在としたと言う点である。

これらの命題は、民主主義を成立させるための前提として働いている。

日本のメディアや自称知識人は、民主主義的原則、自由、平等を自明な事としてとらえ。
自然に放置すれば、世の中は民主化の方向に進み。
民主化されればあらゆる矛盾は解消されると決めつけている。

それがジャスミン革命、中東に民主革命がおこった時、それが自然の摂理であるかのごとく礼賛した。
しかし、その後の流れは、彼らの思った方向には向かなかった。

科学も一種の神話であり、民主主義も一種の信仰なのだと思った方がわかりやすい。

日本人の知識人、メディアの質が悪いのは、自分たちの力、自分たちの考えによって勝ち取ったわけでもないのに、自分たちがあたかも民主主義や自由、平等の守護者のであるかのごとくふるまう事である。

日本の民主主義は、敗戦によって与えられた仮の民主主義である。それまで日本には、正統的な民主主義運動も、共和主義運動もなかった。
故に、戦後、日本が欧米に占領されると民主主義ではなく、共産主義運動、つまりは、全体主義、独裁主義の運動に呑み込まれていったのである。
しかも、自由とか、民社主義の名のもとにである。
彼等には、節操というものがない。

自由とか、平等は、超越者を前提とし、超越者との一対一の契約を前提としなければ成り立たない。
なぜならば、常に世俗的権力は自己を正当化し、絶対化しようとする意志が働くからである。

しかも、そのような社会では正統というのは、世俗的人間関係の中からでしか生まれない。
日本人は、その神との契約が前提となって民主主義の礎が作られたことを理解していない。
民主主義は、天然自然に地から湧いて出た、あるいは天から降ってきた事柄のごとく思い込んでいる。
それは与えられた民主主義なのである。
民主主義は進化論的に出来上がった体制ではない。
革命によって成立したのである。
この世の世俗的権力、絶対的権力を打倒して成立したのである。
無抵抗主義や非暴力主義によってなった体制ではない。
血生臭い闘争の中から生まれてのである。
その時の後ろ盾になったのは、神への信仰である。
この点を理解していないと、現在、中東で起きている事、また、旧共産主義国で起きている事が理解できないし、自分たちが言っている事の意味さえ理解することはできない。

例えば、トランプ氏が大統領の当選した時のマスコミの頓珍漢な対応。うろたえなんて民主主義に対する無理解による事だという事がわからない。
民主主義というのは、決して絶対的な体制ではない。また、絶対的体制にはなれない。なぜならば、民主主義者は絶対的な事というのは、神の事であって人間の問題ではないと始めから取り決めているからである。

人は神の前に平等だという前提があるから、民主主義という体制の統一性が保たれている。
それは神を唯一の絶対的存在だと設定しているからこそ成り立つのである。
そして、それだからこそ、民主主義的倫理が保たれると考えているのである。
その意味では、日本人には民主主義的な倫理は育たない。
民主主義的倫理を確立するためには、自己を超越した何者かを無条件に受け入れ信じる以外に術がないからである。

さもなければ、世俗的権力者、王は、自分を神格化し、神と崇めさせようとする誘惑から逃れられない。
その証拠に、レーニンも、スターリンも、毛沢東も自分の死後、自分の遺体をミイラ化し、廟を建てたり、いたるところに偶像を建てさせるなどという事は考えられない。それが無神論者のやる事である。
神を否定する者は、自らを神とする。

真実の自由を手に入れるためには、真の神と一対一に常に対峙し続けるしかない。
それは世俗的権力をも超越した神を絶対的なものとして受け入れる以外ないのである。

一神教とは、絶対神を信仰しない者を信用しないとされる。
それは、絶対神を信仰しない者は、絶対的規範ではなく、相対的規範に基づいて行動すると考えられるからである。
その典型がマルクス主義である。
マルクス主義は、自分たちの主義を実現するためには、人殺しであろうと、嘘であろうと容認する。
彼等にとって政治的未目的、革命が主眼であって手段、手段なのである。
手段は絶対的な制約を受けない。
マルクス主義が政治的思想だと言われる由縁である。

絶対的規範に立つ者は、絶対的に守らなければならない制約がある。
神に対する背信は許されない。神に対する誓約は絶対であり、神に対して誓約するからこそ人と人との契約も守らなければならなくなるのである。嘘も方便なんて言うことはあり得ない。それが道徳の根底にあるからこそ、一神教徒は互いに信用できるのである。

革命家は、革命的状況を作ろうとしている。
故に、規律とか秩序の重要性は熟知している。その証拠に彼等は全体主義、独裁主義を国是としている。
権力や権威の働きを肯定しているからに他ならない。
権力や権威、規律や秩序の重要性を知っていながら、なぜ、日本の教育機関や言論機関を使って規律や秩序を否定し、反体制、反権力、反権威を煽るのか。それは革命的状況を作り出す事を目的としているからである。


神と民主主義
神と民主主義2
神と民主主義3
民主主義には熱狂が必要である。
信仰のみが民主主義をもたらす。
神と国家
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