神について思う

性欲


性欲は、活力である。故に、否定はしない。
元来、性欲は、神が与えた力である。
問題なのは、性欲が自制できなくなり、暴走する事である。
石油だって、電気だって、ガスだって、原子力だって元来危険物なのである。
制御できなくなれば人に害を与える。
最悪の場合、滅亡にだって結びつく。
神は、力とともに自制心をも与えた。それが愛である。

神の本質は愛である。

現代社会は、愛を教える前に、性欲を教える。
故に、性欲を抑えられなくなり、暴走する。

愛と性欲は、時に調和し、あるいは葛藤する。
愛と性が調和した時は、至上の喜びを得る事が出来るが、愛と性とが相克すると身が引き裂かれるような苦しみ襲われる。
人は、苦しみの原因を愛にあるのか、性欲にあるのかで悩む。
そして、時として愛を蔑み、性欲の虜となる。
性欲には限りがあり、愛は、限りない。
限りある力で限りない力を抑える事はできない。

神の本質は愛である事を忘れてはならない。
愛を恨む者は、神を恨むものである。

現代社会は、欲望を開放している。
人は、欲望の赴くままに活動をし、自らからの欲望を制御できなくなり暴走している。
隣人愛、物欲や虚栄心に負け、慈愛は、金銭欲に負けている。
科学は、驕り高ぶり、神を超えたと豪語するまでになる。
いくら、科学が発達しても生病老死の四苦は克服されてはいないというのに。

欲望もまた力である。欲望を抑えるのは信仰、神への恐れである。
神への恐れを失った科学は、制御不能に陥る。
何を怖れるのか。信仰心を失った己の醜さをこそ怖れるべきである。

自制できなければ神の力を得たとしても自滅するだけである。
自分の欲を抑制するのは信仰である。

自制心は、愛と信仰を源とする。

神の本質は愛である事を忘れてはならない。

TOP         Contents         NEXT


このホームページはリンク・フリーです
Since 2019.10.16
本ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.


Copyright(C) 2001 Keiichirou Koyano