神について思う

洗 脳


宗教だけでなく。この世の中で洗脳はつきものである。
例えば、独裁国では、国民を国家が洗脳している。
人は、多かれ少なかれ洗脳されている。
問題は、洗脳によって生き方をも違えたり、社会との適合を失う事である。

カルトや詐欺は、洗脳を専らにしている。

洗脳は、人の心を操る手段、自分を見失った時、心が弱くなった時に忍び寄る。
一度洗脳されるとその人は、主体性を失って自分で判断できなくなり、相手の言うなりになる。

なぜ、人は、洗脳されるのか。それは主体性を失うからである。
主体性とは何か。それは自己である。
しかし、自己は間接的認識対象であり、自己を直接認識する事はできない。
自己は、外界に投影された像によって認識される。つまり、鏡に映った姿によって自己は認識される。
故に、鏡が歪んでいれば自己の像も歪む。

洗脳する様な宗教は、真の神ではない。なぜならば真の神は、自己を強固とする存在だからである。
自己を見失わせるような存在は神ではない。

神とは、明鏡止水なのである。
真の神は、真の自己を映し出す。

真実の神とは何か。神は、善悪を超越した存在である。
神と自己とは、一対一であり、間に何者も挟まない。



詐欺やペテン師は洗脳の手段をよく使う。
例えば、仕事で、できもしないのに引き受けて、相手に無理難題を押し付け、相手が答えられなくなってクレームを付けたら、それを理由に一方的に放り出したら詐欺と言われても仕方ないんだよ。しかし、それを詐欺とは思わせない。自分の方が悪いと錯覚させる。つまりは相手の罪を引き受けてしまう。
一度引き受けた仕事は、最後までやり抜くのが責務。仕事には、相手があって、相手の意向を無視して自分の都合だけを押し付けるわけにはいかない。ところが相手の言うなりにならなければいけないと思い込む。
そんなのは常識。緊急の仕事が入ったのに、今、友達と酒を飲んでいますと断るわけにはいかないだろ。もう一つ忘れてはならないのは、こちらが客であって客を罵倒してこちらの要求に全く耳を傾けないというのも異常。
その異常さに気が付かないとしたらすでに洗脳されている。
洗脳しようとしたらまず周囲から孤立させ、自分の話しか聞かないように仕向ける。
逃げ場をなくして逃れられなくする。相手に変えるところは自分のところにしかないと思い込ませる。
人の弱みに付け込み、自分から離れられないようにする。
暴言罵声によって恐怖心を植え付け、逆らえないようにする。頭が混乱して訳が分からない状態にする。
時々優しくして人の心を離さないようにする。
立場を逆転させ、たとえば、相手の方が客なのに、自分が客であるかのように振舞い、錯覚させるのもめくらまし。結局貢がされる。
相手が悪いというのに、ひょっとして自分の方が悪いんではないかと錯覚させるのも常套手段。
誰もわかってはくれない、自分の理解者はいない。
洗脳をしようとしている者以外誰も私の事を理解てくれないと思い始めたら危険なんだ。





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