神について思う

現に貴方がそれをなすっている、ということです。


日本人の小説家の中で人間いかに生きるべきかを書いているのは山本周五郎だけだと言っている人がいました。
中でも「ちくしょう谷」は許しをテーマとした作品です。

作品の中で周五郎は、主人公の口を借りて
「ゆるすということはむずかしいが、もしゆるすとなったら限度はない、――ここまではゆるすが、ここから先はゆるせないということがあれば、それは初めからゆるしてはいないのだ」
といっています。

周五郎は、人は「その人が何を為したかではなく、何を為そうとしたかに」
って測られるべきだと考えています。

貴方の行いが大切なのであり、結果が問題なのではありません。
貴方の生き方、人生そのものが救いなのです。

成功したかどうかでなくて、どの様な生き方をしたかが大切なのです。

貴方こそ現代のドンキホーテです。
貴方は求道者です。

あなたの願いが成就するか否かではなくて、成就させようとする意志です。それが大切なのです。
そうしなければ自分が自分でなくなってしまう。自分を保てなくなる。
山本周五郎の「ちくしょう谷」に、「肝心な事は、事が失敗するかしないかではなくて、現に貴方がそれをなすっている、ということです。」という一節があります。
周五郎の言葉を借りたら、「あなたにとってできるか、できないかの問題ではなくて将に行っているという事実です。」
それは結果にあるのではなく。自分の生き方にあるからです。

我ひとり往かんです。

それがラマンチャの男なのです。あなたは、僕から見ればドン・キホーテですよ。
ドン・キホーテは、イエスを象徴しているんです。
イエスも、今でこそ、これほど崇拝されていますが。
最初、ただ一己の人なのです。



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