神について思う

唯一性・絶対性・超越性



経済、経済と言われますが、一般に経済をきちんと定義しているわけではありません。
意味も解らないままに、経済は金儲けの事のように勘違いして・・・。
私は、経済は、生きるための活動をと定義しています。
だから、生きるために何が必要なのか。
そんなことも考えもしないで、ただ経済を金にまつわる話だと思い込んでいるのは愚かな事だと私は思うのです。

政治も、経済も、社会も、経営も、教育も
根本にあるのは、いかに生きるべきかの問題だと思います。
ですから、結局、哲学や神学に至るのだと思うのです。

ただ、日本人は、神について真面目に突き詰めた形跡がありません。
日本人の神というのはご都合主義的で、現世利益的な存在でしかないように思えるのです。
神は神秘的で超自然的な存在だと思っている。
自分勝手に、神は、超自然的な事、神秘的な事と決めつけ。
あるいは、人格神だと思いこんで、迷信だと頭から否定してしまっている。
そんなの自分勝手な思い込みに過ぎないんです。

神は、もっと純粋でまっすぐな事。

神というと、迷信だとか、妄想のように言う。
でも、近代は、存在の根源を突き詰め超越的存在を前提としたところから始まったのです。
そしてその前提として一神教がある。

科学者というのは、信仰心の有無が重要な要素です。
信仰心のない者が真理を極めようなんて世迷言に過ぎない。
神を敬い怖れるからこそ、真理をまっすぐに見つめる事ができる。
生きる道を求める事ができる。

物理学を突き詰めた時、自己を超越した存在を前提としなければならなくなりました。
日本人は、神を非科学的な存在として迷信のようにとらえ、宗教を反知性的なものと錯覚していますが、宗教こそ最も知性的活動です。

それを理解しないから、現在世界で起こっている事象、イスラムの事や資本主義と共産主義、自由についてなどわからないのだと思います。

私は、イスラム教の神もキリスト教の神もユダヤ教の神も一つの方向を指し示していると思います。
それは、唯一性と絶対性、そして超越性です。
仏教は無神論であり、また、中国人の言う天もいわゆる神とは異質に思えますが、しかし、指し示しているところは同じだと思います。

唯一性は、存在、世界の統一を象徴し、絶対性は、存在の絶対性を象徴し、超越性は、自他の存在を象徴している。

唯一性と絶対性と超越性を突き詰めるとあらゆる宗教、民族、人種の壁は突き崩される。

科学は、信仰的な行為の一つだと私はとらえています。
しかし、科学者から信仰心が失われ、神に対する恐れを失くした結果、今日の世界の堕落が始まったのだと思います。
真の科学者こそ神を怖れなければならない。

人間は、神の力を手に入れたと思いこんでいる。
しかし、信仰心を持たない者が神の力を手に入れれば、神の力によって滅ぼされてしまう。
偉大な力を手に入れれば入れるほど謙虚にならなければ力を持て余すだけである。
神の力を制御できるのは神のみ・・・。
人は神にはなれない。

だからこそ、今、人間は、真の信仰が求められているのだと私は、思うのです。



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