神について思う

祈りの場


僕はこの世の物は全て借り物だと想っています。
この肉体すら神からの借り物だと想うのです。
最後にはすべて神にお返ししなければならない。
ですから、物理的場所にこだわると本質的な物が見えなくなると想います。
大切なのは、物理的空間ではなくて、精神的な空間ですね。
そこに集い、敬虔な気持ちで神様を信じ、祈りの場でする。
そこに集う人々の純粋な信仰心が作る精神的な場が大切なのだと想うのです。
そういう場所はどこでもいいのだと想います。人々の思いが作り出す場ですから。
それは、公園でも、誰かの家でも、広場でも、レストランでも、洞窟でも、そこに集う人々の心が一つになれる場ならばいいと想うのです。
元々、クリスチャンは迫害の中で信仰の守り続けました。
古代ユダヤ教徒も初期のクリスチャンも江戸時代の隠れキリシタンも、そして、現代、社会主義政権下でも、中東でも、公の場で信仰を告白すらできなかった。でも、そういう迫害を乗り越えて信仰を彼らは守り通したのです。
それは、神に対する純粋な思いでしかないと思います。
大切なのは、場所ではなくて、聖なる場を創造し、そこで信仰を守り実現しようとする精神だと思うのです。
その精神的な場所があったからこそ、キリスト教徒は、信仰を守り通すことができたのだと想います。
長い放浪の旅を耐えることができたのです。それは心の中に聖地を持っていたからです。
真の聖地は、心の中にこそあります。
物理的な意味での教会や聖地は、その心の聖地を投影した物に過ぎません。
物理的空間に囚われてそこに集う人々が作り出している精神的な空間、純粋な空間を見落とすと信仰の本質は失われます。
神はどこにでもおられるのです。
それこそ便所であろうと処刑場であろうと、戦場であろうと神は居られるのです。
隠れキリシタンは、岩陰の洞窟でも、あばら屋でも信仰者が集える場所があればよかったのです。
神は、孤独で、苦しく、悲しみの場にこそ居られるのです。何の光もない闇の中にも居られるのです。
何の光もない漆黒の闇にこそ人は神を見いだせる場所があるのです。
それは物理的な場所が見えないからです。
神を信じ、神に手を差しのばした時、神は、その手を優しく包み込んでくれると信じられる場所こそ祈りの場にふさわしいのです。

死が必定であるならば、人は最後には、物質的な全てを、この肉体すらも神にお返しし、純なる魂となって神の前に一人立たされるのです。
その時の為に、人は祈り。自らの罪を認め、悔い改める必要があるのです。
人は,祈らなければいられないのです。



マタイによる福音書

あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。
むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。
あなたの宝のある所には、心もあるからである。
目はからだのあかりである。だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいだろう。
しかし、あなたの目が悪ければ、全身も暗いだろう。だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、その暗さは、どんなであろう。
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。
命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。

それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。
雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。
また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。
雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである」。



以上は全てイエスの御言葉をマタイが伝承したものです。イエスは、全てをお見通しなのです。
ただ一人、全ての虚飾をうち捨て神を恐れることなく、神に祈れば、神は真実を言葉ではなく伝えてくれます。ただ一心に神を信じることです。
真実はただ一つ。神のみが知る。

あなたが神の愛に目覚めたのならば、あなたは神に選ばれたのです。



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