2013年10月23日 11:07:32

神について思う

いつの日にか



母が胃癌になりました。
まだ早期ですけれど・・・。
歳が歳ですからね。

いつかは一人ひとり、いなくなってしまう。
自分は見送る側になるか、見送られ側になるか解らないけれど・・・。
そして、誰もいなくなる。

いつか来ると解っていてもその日は、何の前触れもなくある日突然訪れる。

時折、辞めていった社員のことを思い浮かべる。
未練とか、呼び戻したいというのではない。
ただ、元気でいるかなとか、幸せかなと思う程度ですけれど。
それは今残っている者達との思いが繋がっているから・・・。
辞めていった者達を思う事は、心の痛みを忘れない為です。

自分の部下や仲間を信じられますかと言われても・・・・。
何度信じてきた者達に裏切られ、背かれ、騙されたことか。
それでも信じるしかない。
信じられますかと聞かれたら、信じられるものか。
ただ信じるのだとしか応えられない。

そんな時、ふとあいつ今どうしているかなと思い浮かべるのです。

兎角、自分ひとりだけ苦労しているような思いに囚われがちですが、こうしている間も社員達は、汗水垂らして働いているわけですから。
毎日毎日、安い弁当を食べ。
限られた範囲の世界で、平凡な日々を与えられた仕事を一つひとつこなして定年を迎える。
雨の日も風の日もただひたすらに社員は、働いていてくれる。
社員や仲間達を信じられなくなったら、一日だって経営者なんて勤まらない。

どれだけ多くの人に助けられ。どれだけ多くのことを神に救われたか。
ただひたすら感謝・感謝ですね。

大切なのは、自分の思いなんだと皆に話しました。
ただ人を入れればいいとか。物を売ればいいだけでなく。
どんな思いで会社に入り。どんな思いで商品を買っているのか。
どんな思いで辞めていき。仲間はどんな思いでいるのか。
最初に思った事が大切なんだと・・・。
若い頃は、ただ黙って言われたことをやっていればいいと怒鳴られ続けてきたかも知れないけれど・・・。
大切な仕事を任せられた時は仕事に対してどう思うか。それが大事なのだ。
わあ大変だというような思いでも何も感じないよりはましだと・・・。

僕は、儒教で最高の境地が狂気だと聞いて驚きました。
狂ったドンキホーテこそ永遠の理想主義者だと言われて悟りました。

川に落ちた子を見て親は狂う。
火の包まれた家の中に我が子がいると思えば、母親は、我が身を顧みず家に飛び込もうとする。それは狂気だ。
冷静でいられる方がおかしい。
ただ思うだけでなく。拙速と言われようと行動を起こす事。

自分の仲間が苦しんでいる時。
悩んでいる時、ビジネスとしてではなく。人として何を思うか。
それが大切なのである。
所詮、ビジネスは、ビジネス。人として生きる為の手段に過ぎない。
それを忘れたら、ビジネスなんて成り立たない。

だから伴に涙を流せるような仕事をしようよ。
血の出るような仕事をしようよ。
その根本にあるのは、自分に与えられた仕事への思い。
その時、仕事は使命になる。

いつか人は、いなくなる。一人ひとり去って行く。
残るのはその人の思い。その人への思いだけ。
人は、死を前にしていつか自分の人生と向き合わなければならない時がきます。
あらゆる夾雑物を剥ぎ取られ、純粋な魂となって、ただ一人、神と対峙するのです。
その時は、何の前触れもなく突然訪れる。
その時、自分が手にできるのは、純粋な思いだけです。



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