2013年10月23日 11:07:32

神について思う

存在は認識に制約される


存在は認識によって確証されている。
人間は、エレベーターといった狭い個室の中に入れられると、その世界の外の世界と隔絶されてしまう。我々は、無意識に外の世界の存在を前提としているが、実際は自分が認識できない世界が存在しているという確証は得られない。
死後の世界や未来社会。
存在は自己の認識から離れることは出来ない。
それでは、人は自己の世界を構築する出来ないから、自己の認識を超えた世界の存在を前提として生きている。その為に、自己を超越した存在、絶対的存在を即ち、基点として神を暗黙の内に前提している。

映画館に入るとアニメや映画が創り出した架空の空間を現実の世界に置き換えてる。
架空の世界と現実の世界との境目は、認識の違いによる。
実際は、曖昧である。
どちら世界を信じるのかによる違いでしかない。

それは、死後の世界や未来社会についても同じである。

要するに、何を信じるかによって違う。

だからこそ、神という自己を超越した存在を自己の外に置く必要が生じるのである。
その神という絶対的基準を自己を超越した所に置くことで、認識の限界を超えることができるのである。
しかし、自己の認識を超えた世界が自己の世界の延長線上にあるという確証はない。

我々は、死という現実を目の前にした時、素となる。
純なる存在でしかなくなる。

神と一体の世界でしかなくなるからである。




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