2013年10月23日 11:07:32

神について思う

惜  別



別れは、突然訪れる。
別れは変化を伴う。
それも急激な変化を。
物事を中断させるほどの変化を伴う。
人生の全てを変えてしまうほどの変化を別れはもたらす。

惜別。

別れほど辛く哀しい事はないな。

逢うは別れの始めなりという言葉があるが、出会いには、意外性や喜びがあるけれど、
別れは、突然に訪れ、人を悲しみのどん底におとすものだ。
例え、別れの時が決まっていたとしても、別れる時まで、別れた後のことなど、人は、忘れるものだ。

別れなど信じられないのである。

何も死別だけが分かれではない。
旅立つ時も別れだし。
娘を嫁に出す時。
友が遠くへ行く時。
転勤する時。

今は、電話だってインターネットだってある。
でも、私が子供の頃はかろうじて電話があるくらい。
それも総ての家にあるわけではない。

だから、旅立ちは、死に別れるのと同じ。
飛行機で海外に行く時は、海外どころか、親戚中の人間が来て見送ったものだ。

別れは古来、多くの人に詠まれた。

戦場に息子を送る母親の悲しみ。
神に祈るしか出来ない。
生きていようが死んでいようが神に祈るしかない。

達者でいろよと祈るばかり。
父が戦場にいる時、祖母は、毎日、神社に行ってお百度してたという。

別れた人のことを思う時、祈るしかなくなる。
ただ、ただ、達者でいろよとしか祈るしかない。
親は切ない者だ。

女は泣くが。
男は泣きもせず。
心の底で元気でいろよと空しく祈る。

祖母は父に、そっと金平糖(腕章の星)はいらないから、達者で帰ってこいよと囁いたという。
父は帰還して祖母と再会した時、祖母は、父の足をじっと見ていたと父は話してくれた。
父は、足を叩いて足はあるよ、足はあるよと叫んだそうだ。
祖母は泣きもせず、何も言わずに父の足を見てたという。

人は神に祈るしか残されていない。

別れてしまえば、自分は、何もできないから。

死んだ人の為にこそ、尚更、神に祈るのかもしれない。

神は、非情な程平等だ。
金持ちだって、成功者だって別れの時は必ず訪れる。
別れは、人の感覚を鮮鋭にする。覚醒させる。

夢か。真実か。夢でもなく、真実でもない。

だから、古の賢者は、無常、無情と称えたのである。

行く者は、後を振り返らず。送る者は、後ろ姿を何時までも追い求める。
街ですれ違った者に面影を求め、もしかしたらと、目をこらし、姿を追い求める。

残された者は、記憶を便りに、ただ待ち続けるしかない。
行った者は、記憶の底から呼びかける。

残された者は夢に見る。

人はやがて時の彼方に情けの及ばぬ先に別れていく。

別れは、人の常なれど、
別れの時が来る事を、別れの時まで、誰も信じようとはしない。
何時までも、何時までも、変わらずに。
しかし、諸行無常、何事も移り変わっていく。

心変わりもしていく。

別れようと思って別れる時。
誰も別れを望んでいないのに、別れる時。
いずれにしても、何かが変わる。
変わるから別れが訪れる。

いつの間にこんなに大きくなって・・・。
一人前の大人になって・・・。
人を愛するようになって・・・。
まだだ、まだだと思っていたのに・・・。

変化を受け入れようとすれば、何かしらの別れは覚悟しなければなるまい。
身を切るように「又逢おう」としか言うまい。
出来ればただ、笑って・・・。

行く者は、何か大切な物を捨てていく。
大切な物捨てていく。
残る者は、捨てられた物を後生大事に護り続ける。

行く者も残る者も哀しい。ただ哀しい。

哀れ。哀れ。

泪がホトリと落ちる。
嗚呼、神よ。神よ。

別れた人は、心の中に生き続けることが出来るのか。
記憶は・・・。

別れは神の摂理。


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