2013年10月10日

神について思う

前向きに生きよう





某大手企業の人間と話していて厭になるのは前向きさがない事です。
逆風が吹いているのは、解ります。
しかし、逆境だからこそ前向きな施策をとるべきだと私は言うのです。
苦しい時に前向きになれなければ、じり貧になってしまうだけです。
苦しいからといって、自分の利益だけを優先して縮小均衡策なんてとれば、あっという間に潰されてしまいます。

人生意気に感ずです。
志すところの問題です。

自分は、昔から上に立つとか、下に立つとかにこだわってはいません。
自分の人生を委ねるのにたる人物か否かです。

惚れ惚れとするような人物に出会えたらその人に自分の全てを賭ける。
それで本望です。

以て子を託すにたる人物とでも言いましょうか。
つまり、人です。
ただ、今までそういう人物に出会えなかったと言うだけです。
上に立つか下に立つかは、さしたる問題ではありません。
上に立つか、下に立つかは、その時の、状況や目的によるからです。
上に立つか、下に立つかは、結果にすぎません。

目先の小事にこだわっていては、成るものも成らないと覚悟しています。
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もありです。
大事をいたすならば、身を捨てる覚悟必要だと思います。

己のもてる物、全てを投げ出す覚悟はできています。
この世にある物は、所詮、借り物に過ぎません。
最後には、天に返すだけです。
美味い物を食いたいとも豪邸に住みたいとも思いません。
ただ男子と生まれた以上、志を立て、大事を成し遂げたいだけです。
起きて半畳、寝て一畳あればいい。天を屋根とし、大地を床とする。生と死の間、我が人生ありです。

男子たるもの出処進退に潔くなければ、晩節を汚すだけだと考えています。
最後は、苦節を伴にしてきた仲間と家族、そして、祖国に対して何ができるか、何が残せるかだけです。
人は、何時かは、裸で死んでいくのですから・・・。

人を羨んでも、仕方がない。人を恨んでも意味がない。
恨みも、嫉妬も、悪感情は、何の生産性もない。
自分の人生を貧しくするだけです。
恨み節は真っ平ごめんです。

だから、私は、半沢直樹にはなれない。

過去はすっぱり捨てて、前のみを見て生きていくだけです。
過去にこだわっていたら、前には進めません。
他人は、他人。
我は、我です。
私は、己の信念に殉ずるのみです。
ひたすらに、ひたすらに前進あるのみです。
這ってでも前進します。
命のある限り前に進む所存です。

日本男児と生まれたかぎりは、大義に殉ずる覚悟だけはいつでもしています。
家族が生活に困らないようにさえできたら、たとえ、道半ばにして全てを失ったとしても、私は、本望です。
誰も恨みません。
秋(とき)いたらば立つ。
立てば、成否勝敗は思いの外です。
我が身、我が命をかえりみないで、存分に働くだけです。
それが自分が生き残る唯一の道です。
私は、死んだ気でかかる所存です。

我が身がどうならうと誰も恨みはしません。

これからの時代は、待ったなしの時代です。
即断即行。
切り抜けるしかない。
迷っている暇はないと考えます、

一度、立てば、ただ、我が身を顧みず、突き進むだけです。
後は、何も考えません。

今は、信じるのみです。
伴に、人生を語りあいましょう。

ただ、痛快に・・・。











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