2001年1月6日

神について思う

何が、おまえを孤独にするのか




 
 何がおまえを孤独にしているのか。

 何が正しくて、何が間違っているかは自分で決めるのだ。

 人の目を気にして結婚をするわけではない。
 皆が、結婚をするから結婚をするわけではない。
 世間体を気にして、結婚をするわけでもない。
 親の為に結婚をするわけでもない。
 大切なのは、自分である。
 その点を曖昧にしているからいつまでも結婚ができないのである。
 人には欲がある。
 性欲がある。性欲を満たす為だけなら、結婚なんてする必要はない。
 相手の性欲を満たす為の商売すらある。
 金の世である現代は、性欲を満たすだけのビジネスがあってもいいではないかとすら割り切った考え方まで横行している。唯物論的思考である。
 性欲を満たすだけなら結婚をする必要はない。

 市場経済に馴らされた我々は、何でもかんでも、貨幣価値で推し量るきらいがある。
 金さえ出せば何でもできる。金さえあれば何でも手に入る。
 金儲けが全ての価値観の根底になる。
 しかし、それが、社会を荒廃させ、経済を成り立たせなくなりつつあることに気がついていない。
 金、金、金。
 経済的理由を考えれば、結婚なんてしない方がいい。
 現代社会は、経済単位を個人に置いている。故に、金銭的所得は全て個人に帰着する。
 企業は、金銭的利益を上げることを目的としている。企業経営において赤字は悪なのである。
 問題は、その価値観にある。
 本来の企業経営の目的は、利益を上げることではない。
 人々が必要な資源を製造し、或いは、仕入れて社会に分配するそれが企業の本来の役割である。つまり、生産と分配こそが企業本来の使命である。
 お金は、その使命を果たす為の道具に過ぎない。ところが、現代人はお金に心を支配されて金儲けを至上の目的であるかの如く錯覚をしている。
 だから、金儲けの為なら何でもする。
 利益を上げる為に人を減らし、経費も削減する。
 それが競争力を高めることだという。
 なぜ、競争力を高める必要があるのか。
 それが市場の原理だという。
 利益も競争も目的ではなく、手段だったのではないのか。
 必要という意味すら現代では解らなくなっている。
 必要は需要と供給が決める。
 そうだろうか。
 必要というのは人々が決めるのではないのか。
 性欲という需要があれば、性欲を満たすものを供給する。
 それが必要性だというのだろうか。

 現代人は、動物園で育てられた動物のように、或いは、家畜のように、自立した生き方そのものを見失いつつある。
 現代人の価値観、行動規範には、動物園で生まれた動物たちや家畜のように欠落している部分がある。
 どうやって子育てをしたらいいのか解らず、只、いらだち、或いは、諦め、放棄する。
 何が正しくて、何が悪いのか、それすら判断できなくなりつつあるのである。
 それを進歩というのだろうか。進化というのだろうか。
 
 なぜ結婚をするのか。家族を作る為にある。
 家族は、全ての始原なのである。
 家族から全ては始まる。
 家族というのは、共同体、コミュニティである。
 家族の内部は、お金の世界ではない。お金は、家族が必要とする資源を市場から調達する為の道具に過ぎない。
 家族が本当に必要な資源は家族が作り出してきた。
 それが料理であり、掃除であり、子供や年寄りの世話である。

 何よりも子供を産み育てる為の基盤は家族にある。
 その生活の基盤である家族を作ることが結婚なのである。
掃除も、料理、育児も、老人介護さえも、今は、市場から調達し、家族全員で金儲けにはしっている。
 そうなると金儲けができない者は邪魔者になる。
 家族を結びつけている力は愛より発する。金ではない。
 金に頼るならば、バラバラになった方がいい。
 家族を結びつける力は、必要性から生まれる。お互いがお互いを必要としなくなれば、家族を結びつけている力などなくなってしまう。

 掃除も、料理も、子供の育て方も、年寄りの世話も金を出せばやってくれるようになる。
 そうやって人間は、飼い慣らされていく。
 金で片付けているうちに掃除の仕方も、料理の作り方も、子供の育て方も忘れていってしまう。
 こういうことは、親から子へ、子から孫へと伝承されてきた事だ。
 それが失われていく。
 最後には、愛し方まで忘れてしまう。
 
 人を愛することにマニュアルはない。
 相手を必要だするから人を愛するのだ。
 心から相手を必要だと思えるかどうかが大切なのである。

 神は、人間を一人では生きていけない、一人では何も生み出せないように作られたのである。
 一人というのは、非生産的で、非創造的である。

 多くの人は、一人で生きていけると思い込んでいる。
 しかし、人は、一人では生きていけないし、何も生み出せない。何も創造できない。
 男と女が出会い、愛し合えば命だって生み出せるのに・・・。
 そこに神のご意志があるのだ。



TOP         Contents         NEXT


このホームページはリンク・フリーです
Since 2001.1.6
本ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.


Copyright(C) 2001 Keiichirou Koyano