2001年1月6日

神について

労働について



 ふと気がつくと私達は、畑の中にいた。あつい日差しが容赦なく私達を照りつける間、その方は、したたり落ちる汗を拭こうともせずに、楽しそうに畑仕事に精を出されていた。

 そして歌うように言われた。

 労働は喜びです。働く喜びを知る者は、生きる喜びを知っている。汗水を垂らして働く時、私達は、生きている実感を味わうことができる。そして、その労働の収穫を得る時、その喜びは、何倍にもなって私達の手に戻ってくる。

 神の恵みに感謝し、日々の糧を与えられ事に感謝をしよう。

 その時、一人の男が立って、その方に向かって、尋ねた。

 そう言われましても、仕事は、辛く。どんなに働いても楽にはなりません。遊んでいる方がどれ程楽しいことか。

 それをお聞きなるとその方は、軽やかに笑われ。畦に座って、噴き出る汗を拭おうともせず、語りかけた。

 遊びの楽しみは、一瞬のものです。労働には、必ず成果があります。神の恵みがあります。確かに、労働は、きつく、困難なものです。しかし、その困難に耐え、目標を達成したときの喜びは何にも代えようがありません。
 なぜならば、労働こそ神の恩寵だからです。労働によって得られる恵みは、神からの授け物です。神の恵みです。だから、労働は、生きる喜びなのです。生きることそのものです。労働が喜びと成らなければ、その人の人生は、暗く、哀しく、辛いものになってしまいます。それは、労働は、生きること、生き甲斐だからです。その人の生きた証、存在した証だからです。

 仕事や勉強を苦痛だといって遊ぶ事や休む事のみを奨励する者がいます。きっとその人の一生は、虚しく、苦渋に満ちたものなのでしょう。なぜならば、その人は、労働や学ぶ喜びを知らないのでしょうから。そう言う人達は、最初から、労働や勉強は、辛く、苦しいものだと決めつけているのです。そして、自分だけでなく、周囲の人間にもその考えを押し付けているのです。それは、自分の人生だけが辛く、哀しいのでは、耐えられないから、周りの人達の人生も辛く哀しいものにしたいのでしょう。そう言う者の言動に惑わされてはなりません。学ぶことも働くことも本質は、喜びなのです。

 楽をしようと思えば、本当の喜びは得られません。困難を克服するからこそ、喜びが得られるのです。遊びとて同じです。例えそれが遊びに見えたとしても、それを極めようとすれば、必ず厳しいものがあります。それを見ずに、ただ、良いところばかりを見ているから、実態を知らないのです。他人のことはよく見えるのです。しかし、他人の喜びは、他人の喜び。自分の喜びは、自分が努力しなければ得られません。容易く得られる物には、それだけの喜びしか与えられないものです。

 労働は苦役ではありません。
 人は、生きるために働くのであり、働くために生きるのではない。だからこそ、労働は喜びになるのです。それは、労働は、生きる喜びだからです。働くために生きていると思えば、生きることは苦しみとなり。人の人生は、労働の頸木につながれる。それは、奴隷の生き方。
 しかし、生きるために働く。この真実に気がついた時、人は、労働の頸木から解放され、働くことに積極的な意義を見いだすのです。
 そう、生きるという事です。生きるために、働き。生きるために、食べ。生きるために、休み。生きるために愛するのです。それこそが、神の恩寵なのです。
 考えてもみなさい。仕事のない人生を。そこに、誰が、生きる意義を、見いだすことができるでしょうか。働くことの意味を考えるのは、生きることの意味を考えることなのです。労働は、喜び。働くことは、神の恵みなのです。
 だからこそ、働ける喜びを、神に感謝し。今日の糧を与えられた事に感謝し、神に祈り。眠る場所がある事を、神に、感謝するのです。

 私達は、仕事によって生かされているのです。働く場所のないことがどれ程辛いことかを知らないのです。働く場所がないという事は行き場のないことです。居場所がないという事です。自分を必要とする場所ないと言う事です。自分を必要とする人がいないと言うことです。

 労働にもいろいろな種類があります。しかし、労働には貴賤はありません。どの様な労働も貴いのです。職人には職人の、農民には、農民の、商人には、商人の道があります。ただ、私利私欲のために働くのではありません。労働の成果を分かち合うために働くのです。
 働くことそのものに、意義があるのです。労働こそが人生の修業です。労働は、それ自体に目的があるのです。労働は、生きることそのものなのです。
 無為に時間が過ぎていくことこそ苦しみです。人の為になってこそ、世の為になってこそ、生き甲斐があるのです。自分の働きによって人々が幸せになることこそ、生き甲斐なのです。
 だからこそ、労働は苦役ではなく。喜びなのです。そして、自分の労働の成果が人々の幸せ、喜び、役に立つことこそが自分の幸せになるのです。
 働けることを神に感謝し、労働によって得た恵みを神に感謝し、その恵みによって生かされていることを神に感謝するのです。

 突然、あたりが騒がしくなり。我々の周りに、手に手に武器を持った兵隊が、押し寄せてきた。一瞬、私はたじろいだ。その時、その方は叫ばれた。
 怯んではいけません。直視するのです。
 その声に勇気づけられた私たちが、兵隊の来る方を睨んでいると、兵隊は、忽然と煙のように消えていった。

 逃げてはなりません。信念を持って毅然として当たれば怖れる必要はないのです。怯えれば、心の隙につけ込まれるのです。神を信じるのです。






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