2001年1月6日

神について

金の亡者





 体中、ブランド品で派手に飾り立て、見るからに自分が金を持っていることを、ひけらかすかのような格好をした三十代半ばに見える男が、あの方の前に立ちはだかり。あの方に見せびらかすように札束を目の前に突き出すと、あの方を嘲弄(ちょうろう)するかのようにいった。

 金。金。金。この世は、金の世界だ。金さえあれば、何だってできる。金さえあれば、人の心だって買えるではないか。

 その男の言葉を遮るようにあの方は、応えられた。

 所有は、観念の所産に過ぎません。我々は、一体何を自分の物にしたというのでしょう。
 この地をありもしない境界線で分かち、その境界線の線引きで戦が始まり、多くの血が流されています。しかし、この様な境界線は、自然界にはじめから存在したものではありません。人間が勝手に創り出したものです。
 人間は、自分が勝手に創り出したもので、自分達を苦しめている。金も所有権も人間の都合、便宜のために人間が創り出したものです。しかし、人間は、一度作り出すと今度は自分達が、自分達が創り出したものに、囚われてしまう。
 金の亡者も同じです。金は、必要によって生み出された。なのに金は、人間の必要性を超えて人を支配するようになった。まるで、人間が生み出した悪魔のように。しかし、悪魔などこの世にはいないのです。悪魔は、人間が生み出した妄想に過ぎません。金の亡者は、自分達が生み出した金という妄想に囚われ、亡者になっているのです。

 この世の全ての物は借り物です。あなたが所有できる物などこの世には何もありません。全ては、神からの借り物に過ぎないのです。あなたの肉体ですら、いつかは、神に帰さなければならない時が来るのです。

 あなたが必要とする物は限られている。それなのに欲望は限りなく。底なしです。必要以上の物を求めても無駄なだけです。虚しいだけです。満腹になりながら、それでも、美味しい物を求めるとしたら、それは餓鬼道です。修羅場です。
 人間は、必要でもないのに、動物を殺め、弄(もてあそ)んでいます。それは、生命を侮辱することです。生きる為に、生き物を犠牲にするのは、人間の性(さが)だとしても、必要以上に生き物を殺傷するのは、人間の業です。罪です。怖れなさい。悔い改めなさい。そして、自分を生かすために、犠牲になる物に感謝しなさい。

 足ざるは貧なり。満ち足りるものは、常に、心豊かなり。真の豊かさは、心の中にあります。欲が満たされなければ、渇、また、飢えます。その渇きと飢えは、満たされることを知りません。それこそ、貧しさなのです。

 金銭を卑しむことはありません。しかし、金銭に囚われるのは、愚かです。金銭は、人の世の都合・必要によって生まれたものです。その効用、目的を見誤らなければ、人の世の役に立つ物です。しかし、金銭に囚われて、ものの真の価値が見えなくなれば、金銭は、人を堕落させる本となります。
 地位や名誉も同じです。地位も名誉も人間が生み出したものです。金も地位も名誉も、その働きに応じて活用すればいいのです。人は、自己・存在において、神の前に平等です。地位や名誉が人を差別する口実となったら有害なだけです。人間は、自分の生み出した物、影に振り回されている。
 人は、自らが生み出した物に操られて、自分の本性を見失っている。哀しいことです。

 私には、あなたは、貧しく見えます。心の豊かさを感じないのです。

 そう言われると、派手な格好をした男は、気色だってその方を怒鳴った。

 それでは、金はいらないと言うのか。欲しくないと言うのか。必要ないというのか。きれい事を言うな。今の世の中、金がなければ何もできないではないか。現実をよく見ろ。金がなくて幸せになれるか。

 その方は、男の目を見ながら穏やかに言い返しました。

 私は、金で何でも手にはいると思うのは、間違いだと言っているだけです。金で、何でもかんでも自由になるというのは、間違っています。金で自由になるのは、金銭で測れる物だけです。愛情は、金銭では測れません。命も、若さも健康も、幸せも金銭では測れません。人の心まで、金で買うことはできません。金で買えるのは、金で買える価値しかない物です。よしんば、人の心を金で買ったとしても、その人の心は、金で買えるだけの価値に過ぎなくなってしまうのです。

 そうあの方が言われると、男は、
 そうはいっても金がなければ、病気になっても、医者にかかることもできないではないか。金がなければ、その日の生活にも困るではないか。
 と言い返した。

 それに対し、あの方は、
 何度も言うように、金が必要ないなどと私は言いません。しかし、金が全てではないといっているだけです。お金は、人間が、自分達の生活に有用だから、生み出した物です。それに囚われて、物事の本質を見失っては、いけないと言っているだけです。金のために、友達を失ったり、破滅するのは、本末の転倒です。
 この世には、金銭に換えられない物がいくらでもあります。逆に、金のために起こった醜い争いの例を沢山見てきました。遺産や財産を巡って、親子、兄弟が争い。果ては、殺し合いまでする。そうなったらおしまいです。
 金というのは、使い方では人間を幸せにしてくれます。しかし、使い方を間違えば、人間を不幸のどん底へ落としてしまう物です。要するに、それは、私達の心の有り様一つで決まるのです。
 神に祈り、感謝する心を失い。神に仕えるように、神を崇拝するように、金に仕え、金を崇拝すれば、結局、守銭奴、金銭の奴隷と化すだけです。金を必要以上に求めるのは、身の毒です。
 金銭の奴隷となるのは、自分の価値を金銭によって測られることを意味する。結局、自分の価値すら、金銭で換算できる程度の物であることを暗に認めているのです。


TOP         Contents         NEXT


このホームページはリンク・フリーです
Since 2001.1.6
本ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.


Copyright(C) 2001 Keiichirou Koyano