神について思う

障害や差別



大概、どんな人間にも弱点や障害がある。逆にいえば、弱点や障害があるから人間なのである。完璧な人間なんていないし、完璧さなど求めるべきではない。
なぜなら、完璧な存在は神であり。人間は神にはなれないからである。
自分を超える存在を受け入れ、分に与えられた範囲内で精一杯生きていく。
人としての幸せは、それ以上でもそれ以下でもない。
喜びも、悲しみも、苦しみも、楽しみも全ては神の賜物なのである。ありがたく感謝して受けるしかない。
生きとし生きるもの、最期は、死を受け止めなければならないからである。
だからこそ、ただこの時を精一杯生きていくしかない。


差別の一番の問題は、差別している側は、差別しているという自覚がない事である。
差別される側は、何を差別されているかを感じる。
しかし、差別している側は、何を差別しているかに気が付かない。

典型的なのは、男女差別かもしれない。
差別している側の男性には、差別しているという意識に乏しく。
差別されている側の女性は、差別を敏感に感じ取る。
しかも、子供の頃からの教育や躾けによって刷り込まれているから厄介である。

私は、男性である。だから、男と言う意識はある。しかし、女性を差別しているという意識に乏しい。
これは認めざるを得ない。
では、何でもかんでも男と女を同じ扱いをしていいかと言うとそれもまた問題である。
スポーツなどを同じ土俵で戦わせれば、必然的に差が出て、それもまた差別という事になる。
男性は、男性、女性は女性として互いに相手を尊敬しつつ、対等に立てるようにする事を考えるべきなのである。

男と女は違う。その前提に立たなければ、本当に男女差別はなくならない。
ただ、差別を生み出しているのは、人の意識であって、神ではない事を忘れてはならない。

気を付けなければならないのは、差別している側の人間が差別しているとされる事にストレスを感じているという事である。つまり、彼等も我慢している。その我慢の限界になると反動的になる。
そして、暴力的に自分たちの意志を通そうとする。その時、社会は、分断され、収拾のつかない亀裂が入ってしまう。
我々は、差別の本質を見るべきなのである。

何が差別を生み出しているのか。それを見極める事が肝心なのである。

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