神について思う

同行者


私は、神と自己との一対一の関係しか認めません。
神と一対一に対峙できる事が信仰の姿だと思うのです。
誰々の信仰が優れていて誰々の信仰が劣っているなんて一切ありません。
純な気持ちで神と対峙している方は、真の信仰を持っているのです。
神と自己との間に言葉いりません。
ただ、神に対して恥じるような生き方、行動をしているかいないかです。
赤裸々に神と対峙した時、無垢なる魂を感じるのです。
もし、神に愧じる事をしていたら悔い改めればいいのです。
神は全てを許してくれます。ただ悔い改めなければ神が許したとしても自分が許せなくなるだけです。
私にとって神は、許し、神は慈悲なのです。
神が許せないという事はありません。許せないのは自分自身です。神が許したとしても自分が許せないから人は苦しむのです。
ただひたすら懺悔し神に許しを請い。悔い改めるのです。生きている間に…。

怖れるのは神のみです。神の優しい眼差しこそ怖れるべきなのです。

信仰者は同行者です。ともに人生を歩んでいるのです。
それぞれ自分の道を歩んでいるのです。
しかし、目指す方向は一つ。
神の前に人は皆平等。ただ一人なのです。
そして、神もまた同行者です。



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