神について思う

なぜ


結局、何がと思うんですね。
何が自分をそうさせているのか。
そして、なぜとか。
部下が言う事を聞かなかったり、他人のつまらないミスのために自分が責任を問われたりするとこんな気持ちに襲われがちなんでしょうけど。
なぜ、見ず知らずの他人のためにこんな苦労をしなければならないのとか、何が、何が、こんな連中と突き合せているのか。こんな人たちの事なんてどうでもいいからもう辞めたいなんて。
でも辞められるわけないんですよ。
それは親を辞められないというようなもので、苦労させられるからその人たちのために働いているんですね。
皆がなんでもわかって自分なんて必要ないと思ったら、きっと本当に辞めてしまいますよ。
嘘でもいいから自分がいなければ、この人たちどうにかなってしまうと思っていたら辞められませんよ。
そこでやめられたら人として問題ですしね。
だから何でこんな連中のためにとか、何がこんな人たちのためにと思っているうちは辞められないものなんですよ。
腐れ縁ですよね。
何がこんな思いをさせられるのに献身的に自分をさせるのか。

そして、なんだかんだしているうちに歳をとり死んでいく。
人生なんてそんなものじゃあないですか。

人間なんて不思議なもので、楽をしたくて結婚するなんて思ったら結婚なんてできない。
結婚とか、指導者になるなんて苦労を背負い込む事を覚悟する事ですね。
その苦労が生き甲斐になるんです。

つらく苦しい事があるから、生きる喜びを知ることができる。
だから、なぜとか、何をとか思うのだけれど・・・・。
そのなぜとか、何をと思うからこそ生きる意味を知ることができるのだと思うのです。



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