神について思う

人はなぜ罪を犯すのか



なぜ罪を犯すのか。最初は、悪気なんてない。悪いと思ってはいない。

日常的な場面で人を動かしているのは、む高邁な理念や崇高な精神ではない。
どちらかと言えば、金とか、異性とか、食い物に対する俗っぽい欲である。
だから人は些細でつまらない事に躓く。

些細でつまらない事だから罪を犯しやすい。
最初から悪事をなす者は少ない。
心底からの悪党なんて稀にしかいない。

金の使いこみなんて、最初は返せる範囲内で始まる。
しかし、そのうちに返せなくなる。
返せなくなったと気が付いた時、人は罪を犯すのである。

罪が露呈しても自分を正当化しようと汲々とする。
それは、最初は言い訳ができる程度の事だからである。

騙すつもりなんてなかったと人は人をだます。

罪の始まりは嘘をつくことかもしれない。

嘘にも二種類あってとっさにつく嘘と確信をもってつく嘘ですが、とっさについた嘘だからと言って甘く見ることはできません。嘘は嘘なのです。
とっさにつく嘘の多くは、言い訳ですが、嘘をつくと言い訳がいいわけでなくなり、不正になってしまいます。
人はなぜ、不正、罪を犯すのか。突き詰めてみると人間性や人の弱さに行きつく。

最初は嘘をつくつもりではなかったのかもしれない。
でも小さな言い訳やごまかしが結局は嘘になるのである。

だから、心ある親は、どんな些細な嘘でも許さない。
嘘は泥棒の始まりというくらいである。
これくらいなら許されるだろうと思うところから始まる。
大それた事ではない。
これくらいならという心の隙が罪を作るのである。

要するに最初は、出来心なのである。
これくらいならという甘さなのである。
自分は大丈夫という傲慢さ、油断である。
そういう心の隙をついて罪は忍び寄る。気が付いた時は抜き差しならないところに追い込まれているのである。

残忍で冷酷な独裁者と言われる男でも、残忍で冷酷な事を行える力がなければ、何もできない。
残忍で冷酷と言われる男ほど、かえって小心なものである。

小心で臆病だから自分に敵対する者を許せなくなる。
恐怖心は、人を残忍にする。

なぜ、小心な人間が冷酷な事をできるのか。
それは弱いからである。
そうなると心の弱さを正当化するわけにはいかなくなる。
人間は、強くなければならない。
特に、指導的な立場にある者は、強くなければならない。
その強さの根源は神にある。



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