若者が立ち上がると、その方の目をにらむように見て、
 自分さえよければいいと言うのですか
 と若者らしい単刀直入な言い方で、鋭く言った。
 それに対し

 そうです。

 とその方は平然と言い放った。

 それを聞いて、若者は、何か釈然としない面もちをした。
 それを見て、その方は次のように付け加えた。

 しかし、多くの人は、自分さえよければと言った後に、こう付け加えます。他人は、どうなってもと・・・。
 これが、問題なのです。自分が、良くなると言うことと、他人のことは、どうでもいいという事は、同じ意味ではありません。自分が良くなるためには、周囲の者もよくしなければなりません。

 それから、その方は、まだ釈然としない面持ちの青年の方をみられ、笑いながら次のように言われた。

 あなたが、釈然としないとしたら、それは、あなたが、自分が、何を正しいとしているか解っていないからです。
 救いようのない者というのは、自分のない者です。自分がないくせに、自分さえよければいいと言う。自分を知らぬ者が、何が、自分とっていいのか解るはずがない。
 残念ながら、自らを救おうとしない者を、救うことはできない。自堕落で破滅的な生き方をしながら、自分さえよければいいというのは、お門違いです。それは、ただ自暴自棄になって自分の行いを、正当化するために強がっているに過ぎません。自分さえよければといいながら、そういう者にかぎって、いざとなると、俺なんて、どうなってもいいと開き直る。そういう考え方というのは、本来、自分さえよければいいと言う考えの、対極にあるものです。

 自分さえよければと言う事と、やりたいことを、やりたい放題、やりたいようにするという事とは違います。自分さえよければと言う事の根本は、自己です。自己善です。自己の善がなければ、自分にとって何がいいことか、さらに言えば、自分がやりたい事すら判りようがありません。また、自己善の本質は、自制心です。自分で自分を制御できるが故に、自分さえよければいいと言えるのです。そうでなければ、自儘な行動は、自己の破滅につながります。自制心の源は、神です。それ故に、信仰心がなければ、自分さえよければと言う言動の根拠がありません。信仰心がない人間が、自分さえよければ何をしても言いといったところで、その言葉は空疎であり、虚しいものです。

 自分を大切にしなさい。自分を大切にするという事は、周囲の者、全てを、大切にするという事なのです。
 家族の中に不幸な人間がいたら、あなたは、幸せになれますか。あなたの住む社会が荒廃したら、あなたは、安心して暮らす事ができますか。
 自分が善ければというのは、善いことを指すので、自分の欲望や、刹那的な快楽を指すのではありません。自分に善い事というのは、心身の健康です。心の健全や体の健康を保つためには、欲望や快楽を避け、むしろ、節制しなければならない。

 神は、全てを許している。少女を強姦する事も、人を殺す事も、嘘をつく事も、人の物を盗むことも、全てを許されている。しかし、それを知る者は、決してそれをしない。なぜならば、その行いへの報いは、神によってもたらされるのではなく、あなた自身によってもたらされるからだ。あなたは、あなた自身の行いから、逃れる事はできない。それ故に、あなたは、あなたの行いの報いから、逃れることはできない。あなたは、あなたが、善しとした事によって、裁かれるのです。

 神を怖れなさい。そして、自分を怖れるのです。

 幸せになれるための条件は、少なく、また、厳しい。それに対し、不幸になるための条件は多くあり、容易い。たとえば、幸せになるためには、強い意志が必要だが、不幸になるためには、幸せなることを諦めればいいのである。

 望まなければ、幸せにはなれません。
 私には、不幸になりたい、幸せになりたくないとしか思えないような、生き方をしている人が、多くいます。

 幸せになりたいと思わない者は、幸せにはなれない。
 幸せになるために我慢をするのです。
 幸せになるために耐えるのです。
 幸せになるために努力するのです。
 幸せになるために自制するのです。
 幸せになるために信じるのです。

 自分の幸せを考えないことこそ、最大の利己主義です。

 気がつくと馬に乗った一人の騎士が、こちらの方を伺ってる。騎士は、私たちの周りを何度か回ると、その方をめがけて突進してきた。しかし、その方は、身じろぎもせずに、その騎士を見つめていた。騎士を乗せた馬は、その方の目の前までくると棒立ちになり、やがて、来た方向へと走り去っていた。
 その方は、 我々の方に向くと一言
 逃げてはいけません。
 といわれた。




                 
Since 2001.1.6

本ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.

Copyright(C) 2001 Keiichirou Koyano

自分について