私は、夏休み前、友人の酷いことを言ってしまいました。夏休みが明けて、学校が始まったら、わびて、仲直りをしようと心に決めていました。その友達が、夏休み中に事故で死んでしまいました。わびようにも、わびようがありません。それが、棘となって心に突き刺さったままです。
心に棘を刺したままでは生き辛いのです。どうかこの心の棘を抜いてください。

ならば、禊ぎ(みそぎ)をしなさい。

禊ぎとは、自分の罪とが、過ちを認め、それを神に告白し、悔い改めるための儀式です。悔い改めるために、斎戒沐浴をし、身を清め、神に誓いを立てるのです。

ただし、禊ぎというのは、自分の罪を洗い流すことを意味するのではありません。禊ぎをすることによって自分の罪が許されたと思ってはなりません。前非を本心から悔い、自分の行いを改めないかぎり、罪は、許されません。つまり、禊ぎというのは、生まれ変わりの儀式なのです。斎戒沐浴をし、新たなる自分に生まれ変わるための儀式です。罪が許されたと言って、自分の過ちを帳消しに、行いを改めなければ、罪を重ねることになります。

また、地上の定め、法に違反している場合は、地上の裁きを受けなければなりません。ただ、禊ぎは、一つの契機となるのです。禊ぎは、終わりの儀式ではなく。始まりの儀式です。

禊ぎをする時は、自分の罪を懺悔し、宣言をしなければなりません。禊ぎの仕方は、それぞれが自分の犯した罪に合わせて決めなさい。

禊ぎは、行です。だから、必要だと思えば、水垢離や、滝に打たれるのも良いでしょう。




             

禊   ぎ