恰幅の良い一人の紳士が立ち上がると、不機嫌そうに、
 私は、神など信じない。神を信じなくとも、私は、ここまでなれた。私は、何も間違ったことをしていないし、報いも受けてはいない。だいたい、神がどうの、信心がどうのと言うのは、世迷い言であり、迷信だ。私は、そんな、非科学的なものは、受け入れない。
 というと、席を立って出ていってしまった。

 その後ろ姿を見ながら、その方は、哀しそうな目をすると、次のように言われた。

 神を否定する者は、自らを神とする。神は、すべての存在の前提である。このような神を否定してしまえば、この世のすべての存在が、その前提を失ってしまう。また、神は、自己の存在の根本原因である。
 故に、神を否定してしまえば、自らをすべての存在の前提とせざるを得なくなる。同時に、自らの存在の根本原因をも喪失する。
 自らを神とした者は、すべての存在を自らの内の封じ込める。つまり、神を否定した者は、自らをすべてとせざるを得なくなる。それは、自分の世界と他の世界とを分かつものを失うことである。その上、自らが依って立つべきものも失う。そこには、自分以外の者もいないだけでなく、自分すらいないことになる。
 自らの行いと規律の根本原因を失えば、自らの行いと規律を糺すことができなくなる。そして、自らを、許すことも、許されることも、なくなる。すなわち、悔い改めることもできない。
 限りあるものが、限りなきものを越えることはできない。限りある者が自らをすべてだと思いこんだら、その者の世界は、拡大することも、成長することも、発展することもなく。やがて衰微し、縮小していく。おのれの存在など、チッポケなものだ。そのチッポケな世界に自分を閉じこめて、小さく、小さくなっていき、やがて何もなくなってしまう。そして、誰もいなくなってしまう。
 神を否定した者は、自分だけの世界にしか住めなくなる。自分だけの世界とは、誰もいない、何もない、無限に続く絶望的な孤独、暗い、暗い、無明の世界である。

 そう、言い終わるとその方は、哀しそうに遠くの方を見ておられた。
 そして次のように付け加えた。

 神を求めているのは、人であり。神が、人を求めているわけではない。神は、人のためにのみ存在するものではなく。森羅万象、この世のすべての存在のために存在する。つまり、信仰の有り様は、自己の内の問題であり、神の側の問題ではない。

 それから、その方は、歌うように言われた。

 人は、幸せの時、神を侮り。不幸になると神を呪う。しかし、神は、神だ。人の想いや都合とは、無縁なるもの。





                 
Since 2001.1.6

本ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.

Copyright(C) 2001 Keiichirou Koyano

神を怖れぬ者