祈りとは、想いです。願いです。
この世の中は、自分の思い通りにならないことばかりです。

生病老死。哀惜離別。諸行無常。
今、幸せでも、明日、幸せになれるとはかぎりません。
出会いには、必ず、悲しい別れがあります。
自分の思い通りに、ならない事に、出会った時、人は、祈らずに、いられないのです。祈るしかないのです。

だから、祈りは、自分の思いや願いを、ただひたすらに、思い続け、願い続けることです。

また、祈りは感謝です。自分が、存在していることを、確認すると、同時に、自分を生かしてくれる森羅万象、この世の全て、即ち、神に感謝を捧げるのです。
だから、祈りは、食事をする前、寝る前には、必ずします。

信仰の対象は、何でも良いのです。なぜなら、神は、全てだからです。この世の物、全てが、神だからです。
ただ、偶像を崇拝することは避けた方がいいと思います。なぜなら、偶像は、生々しく、また、執着する気持ちを起こさせる易いからです。
つまり、偶像は、神の実相を錯覚させやすい。だから、なるべくなら避けた方が、いいと思います。

ですから、強いてというならば、私は、象徴的な物を勧めます。

形ある物より、無形な物。太陽や月、星のように失われることのない物の方が、祈りの対象には、いいと思います。
なぜなら、形ある物は、壊れたり、失われたり、奪われたりします。
人は、祈りの対象を大切にします。命にかえても守ろうとします。
祈りは、あくまでも、想いです。祈りの対象に囚われたら、祈る意味も失われます。
その意味でも、偶像を崇拝する事は、奨めません。ただ、だからといって他人が、祈りの対象としている物を、壊したり、否定するのも、いいとは思いません。
気を込めれば、心となり、心がこもれば、命となる。
他人が大切にしている思い。その思いがこもった物を、壊すことは罪です。

朝に、夕に、自分の思い、自分の願いを一心不乱に祈るのです。
想い願うことは、実現することもできます。想い願わなければ、実現することはかないません。
だから、祈るのです。
そして、神に感謝するのです。



             
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