神は、不公平だ

 一人の盲人が呟くように話しかけてきた。

 私は、生まれてこのかた、何にも良いことがなかった。家は貧しかった上に、生まれた時から、私は、目が見えなかった。それなのに、生まれた時から、すべてに恵まれた者がいる。不公平だと思いませんか。どうしても、私は、納得ができない。私は、自分の一生をいつも嘆き、神を呪い続けてきました。

 その方は、盲人を悲しそうに見つめて答えられた。

 公平であるか、ないかは、神の側の問題ではない。人の問題だ。神が、不公平であるかどうかを判断するのは、あなただ。だから、あなたが、神を、不公平だと思うならば、神は不公平なのであろう。しかし、神を不公平だと思ったところで、何も変わりはしない。それよりも大切なことは、あなたが神に何を望むかだ。あなたが、神は不公平だと思い、神を呪えば、忌まわしい人生を、それでもなお、あなたが、神に愛を求めれば、栄光ある人生を与えるであろう。神は、人を分け隔てしたりはしない。人を分け隔てするのは、あなたの心だ。心貧しき者は、いかに、物質的に恵まれていようと豊にはなれない。
 あなたは、一人だ。そして、神は、唯一の存在だ。神とあなたは、一対一の関係だから、そこに、神とあなた以外が、入り込む余地はない。あなたの思いは、すなわち、神の想い。神を憎めば、あなたが憎まれ、神を呪えば、あなたが呪われる。あなたが神を讃えれば、あなたも讃えられ。神を祝福すれば、あなたも祝福される。不平、不満はあなたの内にあるもの、神にあるのではありません。

 神に人格はない。絶対的なものは、人格を持ち得ないからである。故に、神は、人を分け隔てたりはしない。

 人は皆、神に選ばれたのです。この世のすべての人は、神に選ばれたのです。なぜなら、この世にある者は、この世にあるからです。存在することこそ、神があなたを選ばれた証なのです。あなたにとって、あなたを分け隔てるものは何もない。あなたを分け隔てるものは、あなた以外の者です。もし、あなたのうちにあなたを分け隔てるとしたら、あなたの意識です。それは、神の意志ではない。

 人の世の矛盾や歪み、差別は、人の世の問題だ。神の世界の問題ではない。人の世の問題を正すのは、人である。
 人の世に不公平があると思うならば、自分の信じるところに従って、それを、糺さなければならない。その信じるところの根本にあるのが、神である。だから、この世の変革も信仰に基づかなければならない。
 しかし、そこで行う行為の報いを受けるのは、自分である事を忘れてはならない。信じることによって迫害を受けたとしても、その迫害は、甘んじて受けなければならない。それは、あなたが、正しいと信じて行ったことの結果だからだ。信仰に基づく行為は、それ自体が、神の栄光なのだ。信じて行ったとしても、結果がすぐに現れるとは限らない。しかし、神は、行為そのものを祝福されるであろう。
 あなたの感じる不公平は、人の世の不公平だ。その不公平を正すのは、あなたの使命であって、神ではない。神を呪う前に、その不公平を許すあなたを呪いなさい。
 醜いもの、悪いもの、欠点、汚いところも含め、自分のすべてを、愛しなさい。それが、神へ愛、信仰につながるのです。

 神の名の下に人を殺しても、神は、その行いを正当化してはくれない。その行いを正しいとすれば、人殺しの国に行くであろう。それは、あなたが、それを、正しいとしたからだ。もし、それが嫌ならば、悔い改めなければならない。自分の行いを悔い改めない限り、あなたは、あなたの内面の規律によって裁かれる。そして、最後には、あなたの内なる世界にかえっていくのだ。

 正義を行うのは、自らの信仰の問題です。神に強要されることでも、神の問題でもありません。

 自分の正しさは、己だけが知る。そして、自分の正しさの本源は神である。自らの正義によって不正を糺すのは、神への信仰による。不正を見逃せば、不正を是認したことになる。不正を糺すのは、信仰なのである。それ故に、自己の正当性は、自分の心、すなわち、内なる神のみぞ知るのである。そして、それだけで良いのである。
 逆に、神によって自分の行為を、正当化することはできない。悔い改めないかぎり、人は、自らの正義よって裁かれる。
 ただ、ひたすらに信じ、許しを請うのである。正しい行いをしながら、十字架に掛けられた者もいるのです。そして、正しい行いをした者を十字架に掛けたのも人である。それを、忘れてはならない。
 この世の不正を糺すのは、人としての使命である。その根本は、信仰である。しかし、不正を生み出したのは、人であることを、忘れてはならない。

 規律は、行いによってはじめて実体を持つ。行いは、内面の規律、良心、世界の証なのである。故に、内面の正義は、行動によって証明しなければならない。故に、不正を糺すことは、神聖なことであり、信仰の証でもある。
 世の中の流れに負け、目に見えない圧力に屈して、自分の理想や志を失い、信念を曲げる者がいる。彼らのような者が、一番、信仰から遠い者だ。内面の規律の本源は、神である。神は、自分の存在の前提である。内面の規律を失うことは、神への背信であり、自己否定である。自らの良心、信念に背くことを恥じるべきだ。なぜならば、それは、神を侮辱することだからである。それ故に、世の不正に対しては、己の存在、命を賭して糺さなければならないのである。あなたの良心、信じることに従って行動しなさい。そして、あなたの良心、信じることによって裁かれなさい。

 平等と同等とは違います。人は、皆、同じではありません。しかし、自然界の法則は、誰に対しても平等に作用します。この違いと等しさこそが神の摂理なのです。


             


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神は、不公平だ。