2001年1月6日

神について思う

道、そして、修業



 道とは、絶対の境地を目指すための手段である。故に、道は、命懸けの修業である。
 絶対の境地を目指す者にとって他者との比較は無用である。
 絶対的境地には、名利栄達出世はない。それらは、皆、相対的な権威であるからである。
 師と弟子とを分かつ者はどこにもないのである。時に、師は弟子となり、弟子は師となる。
 しかし、初心者は誰でも他人(ひと)と比較した者である。自分の上達の程を他人と比較して確認したいのが人情である。故に、段位や序列がものをいう。必要とされるのである。
 しかし、段位や序列が絶対化し、権威となった時に、道は廃(すた)れる。
 道が絶対的な境地ではなく。相対的な段位や地位に置き換わるからである。
 道を極めんとする者は、何に対しても、学ぶべきなのである。それこそ木石牛馬にも学ぶ。
 自分より若い者からも、段位の低い者からも、性別を事にする者からも、学べてはじめて修行者である。
 年齢、段位、性別など、修行者には無縁のことである。年齢だの、経験だの、段位、性別に囚われたら修行者はお終いだ。それこそ、幼子にも学べてこそ、修行者なのである。 その道の権威など度おだてられて有頂天になるのは、ただただ、己の未熟を曝しているのに過ぎない。道は、道程、過程なのである。

 一つの職場に、十年以上勤めると言う事は、大変なことだ。
 一つの仕事を十年以上続けると言う事も。
 でも、多くの人はそのことに気がついていない。
 まるで仕事は呪われていることのように考えている人の方が多いくらいだ。
 だから、休日を増やして、なるべく働く時間を少なくし。
 早いとこ、引退、隠居してしまう。
 仕事から解放されるのが最高であると思い込まされている。
 会社は株主の物であり、債権者の物であり、経営者の物。
 働く者の物ではない。そうだろうか。
 何十年も一つの会社、職場で生きてきた人間にとって、会社や職場は人生そのものなんですよ。それは否定しようがない。
 そりゃあ理屈で会社は株主のものなんて言うのは勝手だけど、会社という生きた組織に対して、株主は何もしていない。金を出しただけじゃあないか。生かしてきたのは、その会社に勤めていた人間なのだ。それを忘れてもらっては困る。
 会社は、その会社を築き上げてきた人々の物だ。誰がなんと言ってもね。
 子供は、産み育てた親が一番であるようにね。

 他人がどう思うかではなく。
 他の人がどういう生き方をしているかではなく。
 自分がどういう生き方をしてきたかである。
 自分がどういう風な生き方をしようとしているのかが、大切なのである。


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