神について思う

科学は信仰に基づく


日本人は、科学の本質を理解していないのです。
科学こそ信仰行為です。
それが近代科学の本質です。
ガリレオにせよ、ニュートンにせよ、アインシュタインにせよ、ダーウィンにせよ、皆、信仰によって科学の基礎を作った。超越者としての神の真理を探究する過程で科学は成立したのです。
科学が神を否定するとか、科学者は無神論者だというのは、日本人の勝手な思い込みで、日本人が神を否定しているからそう錯覚しているだけです。

民主主義も法も全ては、神への信仰があって成り立っている。それが日本人にはわかっていない。傲慢なのです。人知を超えた超越者に対する信仰があるから、真理を探究できる。相対的概念を構築できる。

人間は神にはなれない。それが大前提なのです。

テレビ番組で、世界各国の教科書を取り上げ、その中で欧米の教科書の物理学や生物など科学の教科書が聖書の一節から始まるとしてなんて非科学的なんだと出演者の女優が馬鹿にしていましたが、馬鹿なのは彼等です。
それが科学の本質なのです。科学が全てを解明できるなんて考えている科学者は危険です。科学者は神の摂理に対する畏敬心があるから探究する事が許されるのです。

一方でモンキー裁判があるのは、あれはあれで一つの宗教的現実なのです。そして、ハリウッド映画が成り立つのも根本に神への信仰があるからです。

人は神にはなれない。例え、自然法則を明らかにし、神の力を手に入れたとしても神にはなれない。神になれない人間が神の力を手に入れる事の方を怖れるべきなのです。

独裁者は神にはなれないのです。独裁者が神の力を手に入れ、自分を神以上の存在だなんて思いあがったら、人類の破滅は始まるのです。

救いは信仰にしかありません。信仰なき科学は、単に人間の愚かさの証に過ぎないのです。



近代の基礎となる思想や哲学は、実体を前提として成り立っている。だからといってそれは絶対真理の上に構築されているわけではない。相対的認識の上に成り立っている。
現象の背後に存在する絶対者に対する信仰があるから成り立つのである。その信仰を失えば、個人が絶対者として君臨する事になる。
それが現代社会の危うさであり、社会主義や共産主義、資本主義に共通する危うさなのである。また、科学も同様の危険性をはらんでいる。


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