神について思う

神を信じないで、何を信じるというのか。


テレビで、世界の教科書の事を特集していた。
番組の中でアメリカの教科書の中の天文学を取り上げていた。

天文学の章の冒頭どの様な言葉から始まるかという問題で、日本の教科書なら宇宙の始まりは、無であり、ビックバンから始まると書いてあると説明した後、ではアメリカの教科書ではどうかと言い、アメリカの教科書では宇宙は神が作られたというところから始まると説明したところ、出演者の某女優から理科の教科書でしょう。信じられないといった発言があった。

今の日本人の傲慢さが垣間見えたところである。
今の日本人は、自分達が学校で教わった事、自分たちの常識が絶対だと思い込んでいる節がある。
しかし、日本人の常識なんて世界では通用しない。

科学者の多くは、神を信じているし、神を信じなければ、科学は成立しないと信じている。
それが世界の常識である。

無から、宇宙は生じた、ビックバンによって世界は成立したというのも一種の信仰の域を出ない。
しかし、自分を越えた何者かを前提にせずに自然の法則探求するほど危険で愚かな事はない。

人間は、神の力を手に入れたと錯覚している。
仮に神の力を手に入れたとしても神の心を持たなければ、その力を制御する事はできない。
制御できない神の力など手に入れたら、身を滅ぼしてしまうだけである。
人間がそれに気が付かないとしたら、それは、人間の愚かさを証明しているだけである。

核兵器に、生物化学兵器、原発事故、地震予測等々、人間は、神にはなれない。
神を怖れる事ではじめて人は、自分を抑制する事が出来る。
アメリカ人が愚かなのではない。アメリカ人が科学の本質を理解していないのではない。
日本人が愚かなのであり、日本人が科学の本質を理解していないだけである。

私も科学を学んだものとして恥ずかしく、哀しい事である。

自分を超越した何者かを信じられないなんて傲慢の極みである。
それはキリスト教徒であるか否かに関わらずである。

神を信じないで何を信じるというのだろう。

神を否定するものは自らを神とする。

この世の始まりを無だとするのは、科学者が科学の限界を認めたようなものである。

神を信じないで何を信じるのであろう。


TOP         Contents         NEXT


このホームページはリンク・フリーです
Since 2017.5.29
本ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.


Copyright(C) 2001 Keiichirou Koyano