神について思う

信じるか信じないかは自分の問題


自分の言う神というのは、あらゆるものを超越した存在ですね。
なぜかというと、いろいろな宗教がありますが結局神を自分の都合のいいように解釈している。
そして神の名のもとにいろいろな争いをして、自分たちが犯したことを皆神様の性にしている。

自分は物理学をまなんで、自分の限界を思い知らされたんですね。
物理を学ぶと人間なんてちっぽけな存在に見えてくるんですよ。
自然と対峙していると人間の傲慢さにも気が付く。

今だって神の名の下に悪行をするか。
神を侮って悪行をする。

どちらも救いがない。
僕は、自らの限界を知り、神と一対一に対峙しひたすらに懺悔し、日々悔い改める。
それしか魂の救済はないと思うのです。
仮に、何かの影響をと言われれば、物理学ですかね。




神様にこんな厭な事あったんですよとか。
こんなひどいこと言われたんですよって・・・。

逆に、こんなひどい事を言ってしまいましたとか。
こんな失敗をしましたとか。

神様は、きっと何も言わないけれど。そっと微笑んでくれる気がするんです。
そして、自分を大切にするんだよっていう眼差しで包み込んでくれる気がするんです。
僕は、神様ってそれだけの存在でいいし、それ以上望んでも仕方ない気がするんです。

きっと自分もダメ人間だったからね。


僕は、神なんて信じないって片意地張ったって、神様は、何も関係ない。
神様は痛痒とも感じない。
神を信じるか、信じないかは、自分の問題であって、神様の問題ではないからね。
ただ、神を信じなければ、自分が許せなくなるだけさ。
神への信仰は、自分のためであって神様のためではないんだ。
そいつを忘れてはならないよ。


僕の信じる神は、自分と神とが一対一に向かい合う事なんだ。
神も一、僕も一。それだけ。


TOP         Contents         NEXT


このホームページはリンク・フリーです
Since 2017.2.14
本ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.


Copyright(C) 2001 Keiichirou Koyano