神について思う

十字架


なぜ、キリスト教徒は、十字架を崇め祈るのでしょう。
十字架というのは、イエスを処刑したものです。
そして、血まみれに苦しみのたうつ処刑された時のイエスの像をわざわざ再現する。
それは人間が犯した罪、逃れようのない罪を忘れないためです。
さらに言えば、処刑されながらも人類の救済を神に求めたイエスの愛、信仰心です。
だから、キリスト教徒は、贖罪し続けなければならなくなるんです。
それが彼らの信仰であって、神が存在するかしないか以前の問題ですね。

キリスト教徒は、子供の頃、物心がつかないうちから十字架上のイエスを見せれる。
十字架を祈らせられ、自分の罪を懺悔させ続けられるのです。
それが信仰なのですね。

信仰に、信じるか信じないかといった自分の都合なんて関係ないんです。
自分が存在するように神は、存在する。
自分が否定しようとしまいと・・・。
だから、神の存在を信じるか信じないかは、個人の問題です。
人間一人ひとりの意識の問題に過ぎない。
神の存在は、人間の意識にかかわりない。

人は生まれた時から罪人なんです。
二度と罪を犯す事は許されない。

だから殉教者が出る。
神は不確かでも、イエスの存在は確かなのです。
そして、イエスを人が十字架にかけ、処刑した事も確かなのです。

イエスが実在したかどうかなんて関係ない。
キリスト教徒は、常に、十字架上のイエスを見て生きて育ってきた。
それがキリスト教徒の心の現実なのです。

神の子イエスを処刑した。
あるいは、助けられなかった。

それなのになぜ、自分はこの世に存在する事ができるのか。
それはイエスの愛があるからです。そして、神の慈悲があるからです。

イエスの苦しみを我が事とするために、キリスト教徒は、十字架を毎日、崇め祈るのです。



狂気

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