神について思う

経済について




トマ・ピケチーをはじめ現代の経済学者は経済を語っていないのです。なぜなら、彼等は、経済を定義していないからです。
経済を定義もしないで経済を語る事自体、矛盾しているのです。
私は、経済を生きるための活動と定義します。
ですから、経済を金もうけの手段だとするのは大きな錯誤です。金もうけは生きる為の手段に過ぎないからです。
経済学は、本来、生きるために必要な資源を生産し、それを分配し、消費する一連の過程を分析する事によって成り立ちます。
ところが経済学と称する学者は、貨幣的事象ばかりを問題とします。
肝心な事は、経済の仕組みが適正に機能しない事によって生産や分配、消費を制御できないでいる事です。
そして、適正に制御できない事によって分配に偏りが生じ、その偏りが極限に達した時、戦争や革命という暴力的手段によって偏りを是正するのです。
現代世界の危険性は、その偏りが極限まで広がりつつあるところにあります。

僕にとっては、経済は生きる為の活動ですから、それこそ、犬猫にも、虫けらにも、植物にさえ経済はあるのです。
人は、猫に小判、豚に真珠と言うけれど、犬や猫は小判や真珠のために同類と殺し合いをしたりはしない。
そうしてみると、豚や猫と人、本当の価値を知っているのはどちらなのだろうかと・・・。




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