神について思う

心の病


心の病を薬だけで治すことはできません。
何でもかんでも病気にしてしまう。
それが現代の医学、科学の傲慢なところだと思います。
しかし、薬では治せない病気もあるのです。
精神の病に薬が効くと言う事を自分は否定しません。
でも、それは生理的な部分であり、根本的なところではありません。

心の病を癒やせるのは、自分の心しかありません。
大切なのは自分の心を取り戻すことなのです。
一番いけないのは、自己否定ですね。
自分は存在する意味がないのではとか、自分は必要とされていないのではと否定してしまうことです。
僕は、苦しんで苦しんである時気がついたのです。
他人を許すことは難しい。でもそれ以上に自分を許すのはなお難しい。
自分で自分を許せないから苦しいのだと・・・。
その時、私は、神を信じる気になったのです。
神の祝福をうけてあなたは生まれたのです。
私という唯一の実在。私は、私でしかなく。私という存在は、私にとって唯一で絶対の実在なんです。
天上天下唯我独尊です。
天上天下唯我独尊というのは、釈迦が釈迦自身の事を言っただけではなく。
全ての人々に対する言葉ですね。
この世の中に自分は唯一存在する絶対的な実在だと言う事です。

自分で自分を許せないのなら、自分を許す神を信じる。
あるがままの私を受け入れ許した時、救いがあるのです。
自分を突き詰めたところに唯一の神が居られる。その神のみが私を救える。
その神は、あなただけの神であり、常にあなたに寄り添い、あなただけを見つめていてくれる。あなたを愛し続けている。あなたが悲しむ時は悲しみ。あなたが苦しんでいる時は苦しむ。
そのことに気がつけばきっとあなたは神の気配を感じると思います。
そういう神はあなたと一対一の関係でなければならない。
そういう神ですね。
自分を許すことです。そして、自分を取り戻すことです。
自分を愛し、好きになることです。
あなたは、あなた以外の人に対していい子になる必要はないのです。あなたは、あなたに対していい子であればいいのです。
自分以外の人に対していい子であろうとして自分を殺せば、いい子であろうとすればするほど頭が変になる。
あなたがあなたの心を取り戻さないとあなたの心は、あなたを傷つけてしまいます。
それは自分の心に気がついて欲しいからです。
自分で自分を傷つけてしまう。
それはとても哀しいことですよね。

結論的に言えば自己を解放する事である。
自分に反した行動を無意識にしていると自分の心が自分に離れていく。
自己嫌悪に陥ったり、自虐的になり、何に対しても投げやりになる。
そして、自分で自分を罰するようになる。自分で自分を傷つけるようにもなる。
最初は出来心でやった事でも、一線を越えたら戻れなくなる。
そして、自分が自分でなくなる。

好きでもない勉強をさせられて、納得もしてないのに、自分の行動を正当化する。
そのうち成績によって自分を判断するようになる。
成績が絶対になり、自分が失われていく。
成績が悪くても、よくても自分の本性と関わりのないところで自分が評価されるのだから、自分の実像に対する認識がずれてくるのは必然的である。
それが劣等感や優越感を生むのである。
劣等感や優越感は、妬みや恨み、嫉妬、見栄、虚栄心の病巣となる。
言ったことや話した事、行った事が自分を縛り、拘束する。
嘘がいつの間にか自分にとって現実となり、自分が作り出した嘘によって自分を真実から逃避させるようになる。
水の面に写った自分を自分自身だと思い込むのである。
行動に表せば、結果が現れる。現れた結果によって行動規範が形成され、自己を規制するようになる。
つのり、自分の本心とかけ離れたところで行動規範が形成されていく事になる。
そうすると本当の自分、自分の本心がどこにあるのかも分からなくなる。
そうこうしているうちに自分の本心まで歪められていく。
そうやって抑圧された心が自分に対して攻撃的となり、自分で自分を罰するようになるのである。

いつもどこか違うという思いに悩まされ、ひどい場合は、人格が分裂したり、主体性を喪失し、感情を制御する事ができなくなる。
それが心の病の本態である。
自分で自分を取り戻し、自分を許すしかない。

自分を解放すると当座、少し変になるかもしれない。
わけもなく涙が流れたり、感情の起伏を抑えられなくなったり、気分が悪くなったり、頭痛がしたり、集中力がなくなったり、終日ボーとしたり、熱が出たり、吐き気がしたり、体の節々が痛くなったり、体が動かなくなったり。体が震えたり。悪寒がしたり。
それは、自分が自分を取り戻しつつあるからである。
恐れたり、怖がる必要はありません。
そこで流される涙は、あなたの本心が流す涙。真心が流す涙。
あるがままの自分を受け入れ。
自分を信じ。神を信じ。神に祈る事です。
そして、私は、私だ。
自分の名前を思い浮かべ、何々は何々だと念じる事である。
とにかく自分の魂を受け入れる事なのである。

あなたは、神の祝福を受けて生まれたのです。
抑圧されていた自分を解放する事である。


TOP         Contents         NEXT


このホームページはリンク・フリーです
Since 2016.1.18
本ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.


Copyright(C) 2001 Keiichirou Koyano