神について思う

心ここにあらず


心ここにあらず。

自分を取り戻そう。
自分の心を取り戻そう。
現代人は、自分がない。
自分の心を見失っている。
だから、自分を取り戻そう。
自分の心を取り戻そう。

人の顔色をうかがい、世の中に迎合し、仮面をかぶって生きていたら、自分が解らなくなる。
元々自分は、間接的な認識対象なのである。
自分で自分を見る事はできない。

尊重尊重と言うけれど生まれてすぐに大人と同じ感情や価値観を求めるのは愚かである。
ある一定の年齢に達するまでは、親が責任を持って価値観や礼儀作法を躾けなければならない。
社会人として責任が持てるようになったらいろいろな経験や人間関係を通じて自分を形成していくのである。

ただ人の言いなりになっていても自分は形成されないが、反抗ばかりしていても自分は作れない。
素直さと反発その相反する働きが必要なのである。

主体の根本にあるのは自分の心である。
心こそ主体性の発露。
心を失えば主体性を失う。

逆に、主体性を失えば、人は自分の心を失う。

気を込めれば心となり、心を込めれば、命が宿る。命が宿れば神となる。
心根こそが自己の主体性の源なのである。

現代人は心を失いつつある。
制度を作り、いくら立派な家を建てても心がないから寒々としている。

仏作って魂を入れず。

介護施設を作っても介護制度を作っても心がこもっていないから、単なる上物だけに過ぎない。
人の心を失えば、どれほど神に祈り、願っても虚しいばかり。

人の話を聞いても心ここにあらず。

駄目だ駄目だと言って自分の過去に目を閉ざしている限り、過去の記憶、経験や知識は死んでいるが、
自分のいいところも悪いところも受け入れ、自分の過去に目を向ければ、例え、失敗や過ち、否、失敗や過ちを犯した経験は、人生の宝庫となる。
自分を見つめ、自分の過ちを認め悔い改めれば必ず神は許してくださる。

その時、自分の心を取り戻すことが許されるのである。



TOP         Contents         NEXT


このホームページはリンク・フリーです
Since 2016.1.14
本ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.


Copyright(C) 2001 Keiichirou Koyano