神について思う


盗賊がその方に自分の罪の償いを聞いた。
その方は、盗賊に言われた。

自分の信じた道を行くがいい。
ただ、イエスは人間の全ての罪を負わされて処刑されたのだ。
イエスは、自分を処刑しようとする者の救済までも神に祈られたのです。
それほどしなければ、本来信仰は成就しない。

何が一番恐ろしいかって。それは自分の罪を認める事だ。
自分の罪を受け入れる事です。
そして、それは神と自己との一対一の問題なのです。
いかに神の為にした事だと訴えたところで、自分の犯した罪は、許されるわけではない。

自分が自分の罪を認め受け入れない限り悔い改める事はできないのです。

たとえ、イエスが許したとしても、神が許したとしても、イエスを処刑した者達は、自分の罪を認め悔い改めない限り救われる事はない。

それがどれほど辛い事か・・・。

神の名の下に犯した罪ほど罪深い事はないのである。
神の為にと罪を犯す者達は、よくよく覚悟する事である。
神が求めた事なのか、自分が求めた事なのかを・・・。



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