2013年10月23日 11:07:32

神について思う

戦争への道



人は、戦争への道を選ぼうとしているのかもしれない。
しかし、それは人の意志である。
神の意志とは無縁である。

人が破滅を望むのならば、神は、その様になさるであろう。
それは神の意志ではない。
人が望んだからである。

戦争への道は、人が選ぶのである。
核兵器を作ったのは人である。
神ではない。

神が人の破滅を望むか否かが問題なのではない。
人が戦争を望まないかぎり、戦争は起こらないのである。

核兵器を人が作らなければ、核兵器は出来ないのである。
核兵器は天然自然に成る物ではない。
核兵器を作り出したのは人の科学である。
何が科学万能か。
科学は核兵器を作れても、核兵器をなくす事も、その威力を無効にする事もできない。

その責任を神に帰すのは人間の勝手だが、いくら神を責めたところで何の解決にもならない。
科学を万能と驕り高ぶっている人が責任をとるしかないのである。

戦争をなくすのは人である。
しかし、軍隊をなくせば戦争がなくなると言う程単純ではない。
現実を直視しなければならない。

人間は神にはなれないのである。

どんな独裁者も、天才も、神の前に無力である。
人は神を超えられない。
神を超えようとする事自体愚かなのである。

今、映画や小説、漫画、テレビドラマ等で神を愚弄し、神を侮り、神を罵倒するものが多く見られる。
神はそれに対して何も語らない。又、何も表さない。
しかし、神を愚弄し、神を侮り、神を罵倒したところで神には何も影響を与えない。
それは天に唾するような事である。
ただ自分に降り掛かり、己を卑しめるだけである。

人間は神にはなれない。
全知万能の神になれないのならば、自らの限界を知らなければ、破滅を招く事になる。
人は、自らの愚かさを自覚すべきなのである。
戦争を選ぶのは人である。
神ではない。
戦争を防ぐのも人である。神ではない。
人は、愚かなるが故に、争い、戦争をする。

人が戦争を望むから、戦争は起こるのである。
愚か。愚か。人間は愚かである。
愚かだから、時折、神超えたと思い込む人間が出たり、又、その様な人間に権力を委ねるのである。
それは破滅への道である。

己の無力さ、限界を知るからこそ、人は人として生きていく事ができる。
自らの限界を忘れ、神の力を超えたなどと思い上がるから、自分の力では始末のできない事になるのである。

己の限界を知り、多者に寛容になり、相手を許し、認め合わなければ平和への道は拓けないのである。
そして、その根源にあるのは神の愛である。

祈れ。
祈れ。
神に赦しを請うのである。
祈るしかない。

人は神の前に無力である。







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