神について思う

神に貴賤の別はない


神に貴賤の別はない。
人の身体に貴賤はない。
頭だから尊くて、肛門だから汚い等という別は、神はつけたりはしない。
貴賤は人間の意識が創り出した事である。
糞尿にも神は宿る。

糞尿が汚いとするのは人の意識である。
動物や鳥の中には、糞を食べ、或いは、住処にする物もいる。
だから彼等が卑しいわけではない。
彼等を賤しいとする者がいるとしたら、それは賤しいとする者の意識がそうさせるのである。

何が綺麗で、何が汚いかは、人の意識が区別する事である。
清い、汚いの別は神にはない。

人を差別するのは、人である。
その是非を問うのも人である。

神は、その存在において平等である。




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