神について思う

仲  間


自分は何のために働いているのだろう。
そう考えて、考えて行き着いたのが仲間という言葉だ。

そういえば最近、仲間という言葉もあまり聞けなくなった。
淋しい事だ。
でも結局、いい仲間作りをする為に働いている気がする。
いい仲間といい仕事をする。それが若い頃の夢でもあった。

裏切るとか、背信という言葉誰に対してある言葉か。
やっぱり仲間だ。
仲間を裏切る事は、許されない。

忠誠心だってしかり。
だからいい仲までなければならない。
最近は、悪い仲間ばかりが問題にされる。

仲間は、喜びも悲しみも分かち合える者達である。
志を同じくする者達である。

だから、血縁の絆よりもより強う絆で結ばれる事が出来る。
喜びを分かち合いたい。しかし、仲間の助けを一番必要とする時は、逆境の時、苦しい時、辛い時である。
そういう時だからこそ、仲間のありがたみが身に浸みるのである。

苦しい時、孤独な時に求める仲間だからこそ堅い信頼で結ばれていなければならない。
だからこそ、仲間の中心に居られるのは神なのである。
仲間への忠誠は信仰の如く。
何よりも堅く絶対でなければならない。

日本人は、民主主義を訳す時、自由、平等、博愛と訳した。
でも本来は友愛である。
つまり、志を同じくする仲間に対する情愛である。
それは幕末維新の時の仲間に対する忠誠心の如きものである。

我々が求めているのは、良き仲間である。
最後はそういう仲間と一緒にいたい。
そういう仲間達に看取られたい。
それこそが本音なのかな。

今の時代は、そういう仲間が作りにくい。
組織には、定年退職があるし、目的だって金儲けに過ぎなかったりする。
でも、結局、皆、仲間の下を去りがたく、戻ってくる。

仲間がいないから、孤独死があり、鬱が流行る。
今の時代、誰のために、何のために働いているのかと問う事すら空しいのである。

本来会社は仕事仲間のもののはずなのである。

恩というと社員が会社に抱く者だと言うけれど、会社が社員に感じる恩もある。
そして、その恩の方が本当の気がする。
自分は仲間を幸せにするために仕事をしているのだから仲間が幸せになってくれたら、これ程嬉しいことはない。
だから、仲間の結婚式なんかには、ありがとうって本心から言いたいね。





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