神について思う

言    葉




結局、言葉には限界があるんですね。
愛について百万言費やしても表現するのは難しいですが、
人を愛する事を知れば愛の意味などたちどころにわかる。
解るとはそういう事ですね。

生きる事の意味もそうですね。
神についてもですよ。あたまで考えても神の存在なんて解らない。
でも、美味しい物を食べた時、夕日を見て嗚呼綺麗だなと感じた時、人の親切に触れて生きていて良かったなと感じた時、神を感じているんですね。
でも、人は、それを自分の力だと思う。そうすると神が見えなくなるんですね。

僕の信じる神は、赦し尽くす神です。
どんな罪も赦してくれる。
許せないのはきっと自分なんです。
人は他人を許す事は難しい。でも、それ以上に自分を許す事は難しい。
自分が許せないから、過ちを認め改心する事が出来ないんだと思います。
神のみが自分を許してくれる。
だから、僕にとって信仰は、純粋に自分の問題なんです。
人に強要する事ではない。自分と神との間には何人も入れない。

自分を見つめ、自分に正直に生きられたら、きっと神の加護を得られる気がします。
人は神の前に平等なんです。

こういうとなんですが、僕にとって神とは、自分を許してくれる唯一の存在なんですね。
だから、僕の信仰には、教義も教団も、聖職者も入り込む余地がない。
あるのは、信仰中ですね。お互いに自分の過ちを懺悔し、自分の罪を認め合う仲間ですね。

後は、神のみなんです。
自分で自分を許すというのは、正直出来ませんよ。何より、その前に自分で自分の過ちを認めなければなりませんから。
でも、自分が許せなければ救いようがありませんから。

神を前にしたら偉くなるとか、自分を卑下するとか関係なくなりますよ。
ただ自分らしく活き活きと生きるだけですね。
神の前では自分なんてちっぽけな存在ですよ。だから、また、変に片意地を張らずに生きられるようになれるのですけれど・・・。

何時の頃からか、僕は、相手が許せないんではなくて、自分が許せないんだと思うようになりました。
だってよくよく考えたら相手なんて関係ないじゃないですか。自分の人生は、自分の問題ですから。

神を必要としているのは、人であって。神が人を必要としているわけではない。
なのに、神は赦し尽くしてくれる。
僕だってあなたのメール読んで何者なんだと思う気もありますよ。でも、同時にありがたいという気持ちも起こるのです。
だったら、ありがたいという気持ちを素直に受け入れた方が、自分にとっていいじゃあないですか。
そっと手を合わせてありがたいと思えば自分が救えるじゃあないですか。

一人でも、心が通じ合える人に出会えたら、素晴らしいじゃあないですか。
それこそ神の御心ですよ。
僕はだからそっと手を合わせるのです。ありがとうございますって。
それだけで救われるんです。

あなたがこうしてメールをくれるだけでありがたいんです。
ありがとうございます。

結局人間なんて死という終着駅に向かって旅する同行者なんですよね。
それ以上でもそれ以下でもない。ならば、互いに高め合えればいいじゃないですか。

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