2013年10月23日 11:07:32

神について思う

神の存在は過去の話ではない





神の存在は、過去の問題ではない。神は今も存在するし、未来の問題でもある。

神の存在は、神の話ではない。確かに、宗教的な対立は今でも世界を騒がしているし、それでなくとも宗教の話は、事欠かない。
しかし、私が言いたいのは、そういう世俗的な意味ではない。
神は、今でも存在しているし、未来にも存在し続けると言いたいのである。神の話、過去の出来事の話ではない。今現在の出来事の話だし、未来の出来事の話でもある。
だからこそ神には普遍性がある。

神の話は、二千年前の出来事の話を言うのではない。
聖人や予言者が言った事を解釈する事ではない。
神の話は、神の話である。
宗教は考古学ではない。
我々が神の話をする時、歴史的人物が語った人やその人が語った言葉に対する解釈になりがちだが、神は、現実に存在し続けているのである。
故に、神に対する話は、直接、神と対峙する事から始まるのである。

神の話は昔はなしではない。現実の話である。

神は、絶対である。この世に絶対的でない神は存在しない。
神は、完全である。この世に不完全な神は存在しない。
神は、唯一の存在である。神の存在に依ってこの世は統一されている。故に、神はこの世では唯一の存在である。

神を神として他と識別するのは、人間である。
その時、神の絶対性や完全性、唯一性は崩壊する。
しかし、それは神の問題ではない。人の問題である。

神は、無分別である。
分別は、人の認識によって生じる。
分別は、人事である。
神は、善悪を超越した存在である。
善悪は、人の意識が創り出す。
善悪は、人事である。

キリスト教の神は、唯一で絶対である。
ユダヤの神は、唯一で絶対である。
イスラムの神は、唯一で絶対である。

唯一で絶対な神は、分かつ事は出来ない。
唯一で絶対な神は、完全無欠である。
唯一で絶対な神は、万能である。
唯一で絶対な神は、全知である。
唯一で絶対な神は、不変である。

他人が信じる神の事で争うのは愚かである。
他人が信じる神と自分の信じる神の分別がつかないからである。

神は無分別で、善悪を超越している。
この様な、神と人とは、一対一の関係しかない。
そして、自己に対して唯一な存在である。

他と分別がつかないのが神である。
他と分別される存在は神ではない。
だから、神は神である。
この様な神は、今存在する。
今、存在しない存在は神ではない。
神は、過去の話ではないし、他人の言辞によって左右される存在でもない。
神は、神なのである。
人は、今、神と対峙し、自らに問うしかない。
神を信じるかと・・・。





TOP         Contents         NEXT


このホームページはリンク・フリーです
Since 2014.12.22
本ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.


Copyright(C) 2001 Keiichirou Koyano