2013年10月23日 11:07:32
神について思う
一夜にして変わってしまう事がある。
人の一生には、一夜にして自分の全てを変えてしまうような出来事に度々遭遇する。
良い方に変える出来事もあるにはあるが、どちらかと言えば悪い方に変えてしまえ出来事の法が多い。
それは、良い方に変える出来事というのは自分の意志で創り出すことであるのに対して、悪い出来事は自分の油断が招くことが多いからである。
我々は、今の状態を不変的な事と錯覚しがちである。
一夜にして人生を変えてしまうような出来事が人の一生には何回か起こる。
地震、津波、嵐等の災害。火事や自動車と言った事故、認知症や癌、ペスト、エボラ出血熱と言った病気、戦争や革命と言った騒乱、失業、離婚と言って出来事等。
目が覚めたらまるで違う世界に変わってしまう出来事は数限りなくある。
それでなくとも老いは確実に自分達が住む世界を変えていく。
死は必定なのである。
自分の生きている世界をよりよい世界に変えたいと思うなら、自分の意志が大切なのだ。
神は、自分の意志を持つ者こそ尊重する。
しかし、自分の意志を持つ者は往々にして迫害される。
それは、人々は、今を生きているからである。
急激な変化を望んでいないからである。
今日と変わらない明日が来ると無意識に信じているからである。
現状がどれほど悪くても未知なことに挑むよりずっと楽な事なのである。
明日も、今日と変わらない様に日が昇ると思えば気が楽になる。
いよいよ生きられないと思った時、人は、行動を起こす。
だから、良い事より、悪いことの方が多いのである。
確かに、悪い事も多いが、むろん良い事もある。
しかし、良い事というのは多分に自分の意志が関わる。
なぜなら、良い事というのは自分が運が良い、幸運だと思う事だからである。
幸運だと幸せだと思う感性のない人間にとっては、良い事も良い事でなくなってしまう。
幸せになりたいと思う心が幸せを運んできてくれる。
恋を諦めている人は言い恋愛なんて出来はしない。
恋に臆病では、恋は出来ない。
神を信じるからこそ、自分の運命を受け入れる事が出来る。
そして、不運も幸運に変える事が出来るのである。
神を信じなければ、生きる事の意味など見いだせはしない。
だからこそ神を求めているのは人なのである。
愛を求めても愛は得られない。愛するからこそ愛は得られるのである。
神を信じるからこそ、救われるのである。救いだけを求めても救われはしない。
信じもしないのに報われないと罵った所で空しいばかりである。
自分の意志で生きている者は、逆境に遭っても前向きになれる。
しかし、今という状況を確信もないままに前提として生きている者は、自分の人生を変えてしまうようなことに遭遇するとなぜという思いしか浮かばないのである。
神は、一人ひとりの意志を問うているのである。
このままで良いのか。現状に甘んじるのかと。
自ら生きようとする者を神は生かすのである。
諦めてはいけない。
神は常に前に居られる。
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