2013年10月23日 11:07:32

神について思う

進化か、衰退か



世の中は、進化しているのであろうか。退行しているのであろうか。
近代は、進化論、即ち、進化を前提としている。
しかし、かつては、圧倒的に退行しているという考え方が支配的だった。
つまり懐古主義である。
ユダヤ教だって、キリスト教だって、イスラム教だって、人類は理想郷を追い出され、終末に向かって進んでいるという事が前提である。原罪である。

儒教は、過去の世界を手本とし、それから見て現代は乱れているとする。
仏教も末法思想が根底にある。
こう考えると近代以前の人間は、世の中ドンドン悪くなる一方だと考えていたように思える。

それに対して、現代は、進化を前提としている。
成長を前提とすべきか、衰退を前提とすべきか。
成長を前提とした方が良いように思えるが、そうとばかり言えないのが現代の国際情勢である。

進化と見るか、退化と見るか。
それは未来を楽観的に捉えるか、悲観的に捉えるかの差のようにも思える。
未来を楽観的にぱかり考えていたら世界はよくならないのである。
だからといって悲観的ばかり捉えていてもよくならない。
そこが問題なのである。

世の中の流れをどう捉えるかによって物事に対する考え方も随分と違ってくる。
進化として捉えるか、退化として捉えるかが典型だが、
変化していると考えるか、変わらないと考えるかによっても変わってくる。

進化か退化かは、変化か安定かの問題にも結びついている。
変化しなければいけないのか、安定を求めるべきなのか。
安定した生活は許されないのか。
変わらなければいけないのか。
激動は、争いも生むのである。
平和は安定が前提でもある。
平穏を求める事は間違いであろうか。

だからこそ、昔の人は、懐古主義に傾いたのではないだろうか。

静か、動か。
安定は、静を求め。変化は動を促す。

現代社会は、進化と変化が結びつき。進化や変化を善だとしているように思える。
そして、何でも古いものや過去を否定している。
それは一見未来を肯定しているように見えるが、実際は、曖昧模糊とした未来に全ての解決を押しつけているようにすら見える。そして、何事も自分達の手で解決をしようとせずに先送りしている。
進化の問題点は、変化のみを善としている事かもしれない。
世の中には変わらない事、変わってはならない事もある。

進化や変化が善となると古い事や年老い者を軽視し侮蔑する風潮にもなる。
事の正否善悪美醜に老若男女の別はないのである。
古い事を理由に否定するのは行き過ぎである。

また、若い者だけに可能性があるわけでもない。

そこに易の面白味や可能性がある。
易には簡易、変易、不易があり、その調和を重んじるという思想がある。
そこにこそ心理が隠されているように思える。

神は、進化としているのか、退化としているのか。
それは窺い知れない。
神はいずれの考え方をも超越しているのだろう。
神にとって進化か退化などどうでも良い事なのである。
つまり、進化と捉えるか、退化として捉えるかは、人間の意志の問題なのである。

世界は成長発展しているのか、それとも、老い、そして衰退しているのか。
どちらの見方も成り立つのであろう。





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