2013年10月23日 11:07:32

神について思う

無  名




神の絶対性、唯一性を受け入れるから自己の意識の不完全性を認められるのだと思うのです。
自己の意識の不完全と神とを分ける事で自分が生じるのだと思うのです。
神の絶対性を受け入れ、自己の不完全性を受け入れるから
神に赦しを請い自分は変化する事ができ、成長するのだと思います。
神の絶対性が信じられなければ、自分の過ちを素直に受け入れられなくなり、
自分を正当化し、何時か自分を絶対視し、神格化してしまう。
それがカリスマ的指導者が陥りやすい罠ですね。
イスラムは、ムハンマドすら神格化する事を拒みました。
そこがイスラム教のすごさですね。
神を信じる世界の指導者は常に懺悔し、自分を日々改める事ができます。
それが東洋的指導者との決定的違いだと感じます。

神を否定する者は、自らを神とする。

自己の絶対性は、神の絶対性を前提とした上で成り立っている。
神の絶対性、唯一性の反映なのである。

唯一神に対する信仰を持つ社会では、指導者も絶対にはなれない。
神の前で平等なんですね。
だから、指導者も人間でいられる。
失敗をしても、欠点があっても許される。
許されるから隠したり誤魔化したりする方が許されなくなる。
隠す事はかえって指導者の弱さだと映る。
国民に懺悔する事が求められる。
弱さも指導者にとって魅力になる。
指導者の限界を受け入れ、制度化する事が可能となる。
それが民主主義、言論の自由の根源です。

神の絶対性を前提とできなければ、人に神聖さや絶対性を求める事となる。
それが独裁である。
故に独裁者は自分を神とし、神話を作り、崇拝させる。
それは堕落である。

東洋には絶対神という思想はなかった。
故に、東洋的指導者は失敗が許されない。
完全無欠でなければならない。
それは権力者を神とする事である。
だから、東洋的権力者は自分を今でも神格化する。
そして、独裁者になる。
過ちを犯さない権力者は災いである。
民には災難である。

独裁者は自分を守るためなら、恐れ気もなく、総てを破壊する。


僕は、良いところも、悪いところも、失敗も、間違いも、弱さも、醜さもあるがままに全部部下にさらし、
その上で、厳しく躾けていくと心掛けている。
失敗や間違いは、当たり前ですからね。
自分の不完全性を承知しながら部下を叱り、責任を問う。
罪深い事である。だから、神に祈る。
神に祈りを捧げて、赦しを請わなければ生きていけない。

先日のキックオフも浜松支店の志賀がですよ。
肝心な時にバンドを切ってしてしまい。
ズボンがずり落ちたんですよ。
ところが彼は立派でね。それをコンマ何秒のタイミングでチャンスに変えてしまった。
キックオフかとても良い感じになったんですよ。
ウチの社員って素敵でしょ。
ウチの社員なんて欠点だらけ、皆、心に傷を負っている連中ばかりなんです。
でも皆僕より良いところを持っている。早い話僕は運転しませんからね。
不器用だし、だから、その点は皆僕より優秀です。
だから、今日朝、皆、キックオフで素敵だったよって言ったんです。
会社経営者なんて何でもかんでも自分が最高である必要はないんです。
最低である事もないけれど。
僕の師である笹野さんはいつも僕に言ってました。
自分は何をやっても駄目だ、だから人を使う事を覚えた。
人を使う事に徹したんだと・・・。
凄いですよね。
僕は、素直にあるがままの自分をさらせばいいんだと思うのです。
その上で糾すべき点は糾す。
改める事は改める。

問題なのは、事実を事実として受け入れ楽なり、隠したり、誤魔化したり、嘘つく事ですね。
事実を事実として受け入れられなくなった時、僕は、引退すべき時だと考えています。

勝敗は、勝敗。
勝敗から何を学ぶかが問題なのだ。
勝って兜の緒を締めろ。
勝ても驕ってしまえば何も学ぶ事がなくなる。

負けたのはおまえが悪い。
おまえの努力が足らないからだと勝手に決めつけても成長はしない。

失敗は成功の母というように、失敗や敗北から学ぶ事は沢山ある。

悪いとか、駄目だと決めつけてしまうのが一番禁物である。
事実を事実としてあるがままに受け入れる事だ。
その上で何が悪くて、何が良いのかを見極める事だ。

見方によっては良くも悪くもなるのである。

僕の悩みは、むしろ優秀な人ですよね。
完全主義者。
彼等はなかなか自分の非を認めようとしませんからね。

でも優秀だから駄目だという事もあるんです。
成功したから失敗するという事も。
逆に、失敗したから成功するという事も。

やっていないと言いますが、
皆、できないから苦しんでいるんです。
できればやっていますよ。
駄目な人間を駄目だと決めつけたら、変われないんです。
駄目な人間は自分を駄目だと決めつけているから駄目なんです。

だから、僕は、自分の部下がどうしたら、自分の良い点に気がつくだろうとそればかり考えています。
でも、自分も未熟ですからね。
家内はどうして自分ばかり責めるのと言いますがね。
でも先ず自分が変わらないと。
自分を責めているのではなくて、良いところも悪いところもあるがままに受け入れようと思っているだけなんですけどね。
自分が相手の欠点に気がつくという事は、何かしら相手と共通の欠点がある。
その欠点が解れば相手の痛みもわかるし、一緒に改める事もできる。
治すと言うより改めるですね。
いきなり、相手を責めたら相手は受け入れませんよ。
だから、褒める。心から褒める。
それが褒める事の意味ですね。
本当は自信家を褒める事の方が難しい。
褒めても素直に受け止めてくれませんからね。
でも、素敵な事は素敵ですよね。
一番大切なのは、共鳴共感です。

最後は神と一対一に対峙する。
神の前に裸で立たされる。
何かあったら神と一対一になる。
それが総てですね。

だから無名でいる事。
無名で終わる事。
忘れ去られる事。
それが一番僕にいい事だと思っています。

ただ無名で何が一番辛いかなと思うと
家内や息子に尊敬されない事ですかね。
自分は剣道もしないし、
スポーツも苦手、
運動神経が鈍いとは思いませんが、
不器用で・・・。
学校の勉強も苦手。
と言うより、学校で教えている事が理解できないんですね。
運転もしないし、家内は運転も剣道も上手。英語も得意。学校の勉強もできる。
何でも僕よりできる。
経営も上手いかもしれない。
当人も言ってますしね。
英語も駄目。息子なんて英語ぺらぺらですよ。
こっちが尊敬してしまう。
やっぱり、息子が尊敬できないのも無理ないか。
でも、それはそれで良いのでしょう。
少し悲しいですけれどね。

なるべく忘れ去られて、一人で死んでいく。
それが一番良いかもしれませんね。

最後は見捨てられ、うち捨てられる。
その方がきっと楽ですね。

最近すいません、すいませんが口癖になってきた社員がいますが、
僕はありがとうありがとうが口癖になる会社にしたいですね。


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