2013年10月23日 11:07:32

神について思う

気と心


気を込めれば、心となり。
心を込めれば命が宿る。
命が宿れば神となる。

何事も最初は決心である。

気は心である。

自分で決めるればやる気が出る。
自分で決心がつかなければ他人事になる。
他人事では、やる気は起こらない。

やる気がなければ、何事も心ここにあらずである。

自分で決めればやる気が起こる。
やる気が起きれば気がつく。
気がつけば心が動く。
心が動けば決心がつく。
何事も他人事では心がこもらない。

だから、先ずやる気を起こさなければならない。

やる気を起こすためには、気を向ける事である。
気を向けばやる気になる。
気がなければ気にもしない。
気にならなければやる気も起こらない。
関心が持てないのである。
やる気がなければ心もこもらない。
決断するから気が入り心がこもるのである。
それが生きる事。

決めた事を実現しようと思ったら気を遣う事となる。
気を遣えば
気を配りもできるようになる。
優しくもなれる。
自分がなければ、皆に、冷たくなる。
心がこもらないからである。

心がなければ誰も愛せない。
誰も愛せないから、心ない仕打ちになる。

心がこもっていなければ、やる事に血が通わない。
愛情が感じられないのである。

自分で決めた事だからこそ心を込める事にもなる。
血が通う。
血が通うから愛に愛情が伝わる。

結局、最後は自分の決心なのである。

自分で決めた事なら関心を持つ。
自分で決めた事だから気にもなる。
自分が決めた事でなければ、
気にもならない。
気にならなければ、気にしなくなる。

気にしなければ、気が入らない。
気が入らなければ、魂もこもらない。
だからいい加減な気になる。
いい加減な気持ちでは、やる事もいい加減になる。
やる事がいい加減ならば、相手に自分の思いは伝わらない。
気が入っていないからである。
気が入れば思いも出る。
思いが出るから相手に思いが通じるのである。
自分の事を解っていないと言うけれど、自分の思いがなければ相手に通じるはずがない。

自分の一生である。
自分が決めなければ、自分の思いが生まれない。

思いは祈りになる。
祈りは、神に通じる。

やらされていると思っている事では、自分の思いなんて伝わるわけがない。
厭な思いしかないのだから。
伝わったとしても厭な思いだけである。
楽しい思いは伝わらない。
自分の勝手な思い込みしかなければ、自分の勝手な思い込みしか伝わらない。
相手と心を通じ合うというような事はあり得ない。
共鳴も共感もない。
感動もない。
魂も、精神もない。
通い合う魂も精神もない。

神聖な願いも祈りもない。
だから誓いもない。

神に誓いを立てる事もない。
神を信じる心は起こらない。

神に祈りを捧げたりはしない。
神に感謝する気は起こらない。

生きる目的も喜びもわかりはしない。

神を信じるのは生きる為。
神に祈るのは生きる為。

神を信じるのは、自分の心。
神に祈るのも自分の心。

だから、神は絶対なのである。

気を込めれば、心となり。
心を込めれば命が宿る。
命が宿れば神となる。




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