2013年10月23日 11:07:32

神について思う

神   様



自分が子供の頃は、まだ焼け跡や廃墟がそこここに残っていて怪談話には事欠かなかった。
自分の通っていた小学校にも空襲の跡が残っていて、そこには子供達は立ち入ってはならない場所だった。
そして、そこは如何にもというような怪しげな場所だった。
それも本当に生々しい話ばかり、猥雑な雰囲気が町中に流れていた。
創業の頃は、社員の多くは、住み込みで、着の身着のままにやって来てウナギの寝床のような屋根裏部屋で雑魚寝をしていた。
子供は、皆が雑魚寝をしている部屋に行くと怒られるのだが、そっと屋根裏に上がっていってのぞき見たものである。
屋根裏部屋には、土産物の鬼神の面が飾ってあって怖れが子供心に恐ろしく。人が居ない時は近づくこともできなかった記憶がある。
暮れには近所の女衆が集まって正月のお節料理を作り、男衆の手がすくと餅つきなどをしたものである。
正月は、子供でも夜更かしをすることが許され、元旦は、起きてみると着飾った大人達が朝から宴会をして酒盛りをしていて、いつもと違った独特の雰囲気があった。子供達の目当ては、お年玉。
遊びと言えば、双六に、福笑い、たこ揚げ、羽子板と決まっていた。それにお書き染めをして、テレビでは、寄席と、正月には、お決まりの行事が決まっていた。
月に一度は近くの神社で縁日があり、夜店や露天で賑わったものである。得体の知れない露天や啖呵売の口上に胸をときめかしたものである。
我々の子供の頃は大人の世界と子供の世界にはハッキリとした垣根があり、その垣根をいつ越えられるのかとワクワクしたものである。
夜店市や露店、屋台は、その大人と子供の世界の境に位置していた。
大人と子供の境目に男と女の問題が横たわっている。子供は、その男と女の関係をあからさまには教われなかった。
しかし、本能的にエロティックな匂いをかいで胸が騒いだのである。
最初はラジオ、そして、シクロテレビ、カラーテレビと進化し、今は、ビデオに、大型薄型テレビ。世の中は進歩し、それにつれて生活水準も向上した。その急速な変化は、変化についていけない多くの落ちこぼれを生んだ。そして、変化は、人間と人間との間の情けを削ぎ落とし。知識も技術も経験もリセットしてしまう。知識や技術や経験だけでなく、その人が生きてきた時間までも消し去ってしまう。
思い出は、ただの記憶に過ぎなくなり、未来に対する教訓にはならなくなる。年齢や経験は価値を失い。
年と伴に人々はただ衰えていくだけの存在に成り下がる。それが進歩なのだろうか。
自分は、現場の人間に育てられたものです。両親は、仕事や住み込みの社員の面倒を見るのに忙しく。結局、住み込みで働いているお兄ちゃん達、お姉さん方に世話を見てもらった。だから、いくら両親にかまってもらえなかったとしても寂しいと感じたことはない。
当時は、「ごちゃごちゃ理屈なんてこねんでもええ、商売人は、売ってなんぼ。」と根っからの商売人や腕が自慢の職人達がうようよいた。
小さな街の商店街でも活気に溢れ、どんな小さな店でも、店主は、一国一城。自分の才覚だけで生き抜いてやる、そんな気概を持った、商店主で満ちていました。
口癖のように「生活がかかったんだよ。」「宮仕えは厭だ。」と毎日が真剣勝負、それでも、真面目に働いていれば、日々の暮らしに困る事はないと信じ。朝夕、神棚に手を合わせ、働ける事に感謝していた。
そんな粋で気概に満ちた商店主が大勢居た。そして、彼等は、皆して子供達の世話や面倒をみ、子供達は知らず知らずに仕来りや商売の作法を覚えていった。
当時の商店主は、贅沢は望まないが、人にこき使われ、自分の意地を守り通せないくらいなら死んだ方がましだと、小といえども自分の店を持って、誰からも指図されない生き方をするんだ。そう言って商売を始めた人ばかりである。今は、苦労、リスクを嫌って安全な大企業の社員や公務員になりたがる。でも、結局、安全と思った会社だっていつ潰れるか解らないし、馘首になりかもしれない。それでなくとも左遷、降格のリスクはつきまとう。なによりも、ただ無難、無難な生き方を求め生き抜こう、戦い抜こうという生命力が失われている気がする。
皆、死んだような目をして、生き生きとした力強い目をした若者達が居なくなりつつある。
活気に溢れていた商店街もいつの間にか寂れ、気がついて見たらシャッター街と、段々に、本来の姿を消しつつある。それで街や景気がよくなったのかと言えば、僕には、街も荒み、景気も悪い気がしてなりません。なにか肝心な事、そこに住んでいる人々の生き様、暮らしが、忘れ去られているように思えてならないのです。人間の住む街、住む世界なんです。義理人情を古いと馬鹿にしますが、義理も人情もない世界に住みたいとも思いません。
今は、皆、月給取りになって根っからの商売人も職人も居なくなった。月給取りには、定年があり、必然的に人生にも定年がある。
当時は、物も金も何もなかったけれど、不思議と怖いと感じた事はない。何かあったら皆が助けに来てくれる。金が儲からなかったら儲ければいい。とにかく何でも売って儲けよう。
だからといって何をしても良いと言うのではない。信用第一。長い年月掛けて築いた信用も一時の心得違いで一朝にして失う。一度失った信用は、二度と戻らない。お天道様に恥じるような、人道にもとる事をしてはならないとあらゆる人々に絶えず窘められてきた。
車を運転する時、会社を経営する時、必ず、同乗する人間、社員の数、取引先に勤める人の数の四倍の人間の命を預かっていると思えと言われ続けてきた。
創業の頃は、本当に何もなかったけれど、怖れるものもなかった。それが金が貯まり、物が豊かになってくるといつの間か誰も居なくなり、商店街も廃り、幾つかの会社が潰れ、職人達も居なくなってしまった。
豊かになったはずなのに、気がつけば頼りになる者が誰も居ない。
今は、得体の知れない恐怖心がある。より所を失いつつあるような怖さを覚える。家族も頼れず、心を許せる仲間や友もなく、最後のより所である仕事さえ奪われ、老いたら誰からも顧みられなくなり。施設に入れられ、或いは一人で暮らし。最後は、ただ一人死んでいくのだろうなという予感が、言葉にならない恐怖となって身をすくませ、心を凍らせてしまう。
私は、昔を懐かしんでいるのではない。
ただ、人恋しいのだ。
人の幸福は、人と人との間にしか生まれぬものを人と人との関係を物と金との関係に置き換え人と人との関係を渇いた関係にしてしまう。
それが恐ろしいのだ。
そして、最後には神まで蔑ろにする。
子供の頃は、どんな家にも神棚があり、どんな会社にも神棚があった。
家長、社長は、朝、日々の安全を祈り、夕には、その日の糧に感謝を捧げた。その心を失う事を私は怖れるのだ。
家や会社を護る者の勤めだったのである。
神に感謝しつつ、内を守る。

神様。
人間の幸せとは何なのでしょうね。


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