2013年7月1日

神について思う

あなたは神を信じられますか



ところで、あなたは、神を信じていますか。
これは根源的質問です。
あなたは、自分で、自分を許せますか。
これは本質的質問です。

始まりは、自分の友人が、高一の夏休みにシンナー遊びで死んだことです。
シンナー遊びで死んだと言っても限りなく自殺に近い形だったと聞いています。
自分にとって彼はどんな友達かというと親友と言うには、ちょっと離れている。しかし、遊び仲間の一人である事は、間違いありません。
自分には当時、仲間と呼べる友達か四、五人いました。そのうちの一人という関係です。
私と彼は、地下鉄で通学していて帰り道が、途中まで同じ。なぜか、彼は、私を誘うのです。今思えば、彼は寂しがり屋だったんだと思います。
彼は私を誘っておきながら、地下鉄の中では、話すでもなく、自分のしたいことをしているのです。自分は一人でいたかったのに、何なんだという気持ちを持っていました。
一学期の最後の日の彼は、案の定、私を一緒に帰ろうと誘ってきました。その時、私は、鬱陶しく感じてなんだかんだ理屈をつけて断ってしまいました。
それが、心に引っ掛かっていて夏休み中悩み続けました。それで、夏休みが終わったらすぐに彼に謝ればいいと結論が出て。
何となく合点した直後に友達から電話があって彼の死を知りました。それから、彼がなぜ死んだのかをずっと考えるようになりました。
これが、一つです。
夏休みが終わった時、校長が全校生徒の前で、彼の死を犬死にと言った。自分は、それに対して何もできなかった。これが二つ目です。
高三になった時、友達が先生を弾みで殴って退学になりそうになりました。
それをまた、全校生徒の前でシンナー遊びで死んだ友を犬死にといった校長、この時は、理事長になっていましたが、高三でも退学にさせると言ったのです。
そこで、私は一人で校長に抗議に行きました。理事長が直接話をするというのを遮って、校長は、私の話を聞いてくれました。そして、彼は精神状態に問題がある私に任せてくれと言うので、校長を信じて任せました。
その時、私が自分に言い聞かせたのが、
「おまえは死んだ友に、今、何もしないことに対して言い訳ができるか」という事です。
それが爾後、私を行動にかき立てるキーワードになったのです。
それから二年浪人をして日大に行きました。日大と言うだけで当時のことを知るものは、「嗚呼」という者もいます。それくらい当時の大学はあれていました。なぜか、そこで自分は、相談役、つまり、カウンセラーみたいな立場に立たされました。
自分が専行したは、物理学です。そこで至ったのが自己は、主体であり、間接的認識対象だという自己定義です。つまり、自己認識は、自己一人ではできない。
他人を許すことは難しい。しかし、それ以上に難しいのは、自分で自分を許すことだ。
そして、それを突き詰めた結果、自己を超越した存在として神を定義し、信仰の重要性に至りました。

もう一度お聞きします。
あなたは、神を信じますか。
あなたは、自分で自分を許せますか。  


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