神の恩


痩せぎすで融通のなさそうな男が窺うような目つきでその方に尋ねた。

神は、どんなことをしても許されるのですか。どんな酷い事をしても神は許されるのですか。

その方は、その男の目をますっぐ見ると即座に、躊躇する事なく。

はいと答えられた。

その方の答えを聞くとその男は、薄ら笑いを浮かべて、

そんな簡単な事で罪が許されたなら、誰だった悪い事しますよ。
この世の中無茶苦茶になってしまいますよ。

馬鹿にしたように言った。
その方は、優しく微笑まれて。

簡単な事かどうかはわかりません。ただ、許されると知っていて悪を為す事は、それ自体、罪なのです。その罪を認めないい限りどの様な罪も許されません。
そして、自分の犯した罪を認め受け入れる事こそ一番つらく苦しい事なのです。

生きとし生きる者すべて神の祝福を得てこの世に生を授かります。

神は、常に、生きとし生きる者を生かしてくれています。
それが神の愛であり、恵みであり、恩です。
その恩を感じることなく、恵みを受けなければ人は、生きられないのです。
その事を知らずに生きる事はできても、生きた事にはなりません。

何万にも虐殺した者が、原子爆弾を作った者が、善人を虐げ、迫害した者が、老いた者を金を掠め取った者が、悪行の限りを尽くした者が、自分の過ちを認めるのは、死ぬことより辛いのです。
決して簡単な事ではありません。
しかし、自分の罪を認めない限り、その者は、神に背を向けているのです。
神がお許しにならないのではなくて、その者は、自分自身が許せないのです。
人の話を聞いてこの人の言っている事は、正しいと思えば、素直に従えばいいのに、なんだかんだと言って素直になれない。
自分の犯した罪を他人の性にしている限り、人は許されないのです。
自分の罪を罪として認め悔い改めれば神はどのような罪でも許してくださる。


なぜ、あなたはここに居るのかと神は、無言で我々に問いかける。
神の眼差しを我々は拒むことはできない。
神の恩は限りなく。神の恵みによって我々は、生かされている。
神の恩を感じなければ、神の赦しは得られない。
神の恩に感謝し、ひたすら祈りなさい。
そうすれば必ず神の赦しは得られる。
神の赦しを受けられなければ我々は救われない。

人は、自分の為だけには生きれない。
何故ならば人は一人では生きていけないからです。
人は、自分を生かしている何者か、人を存在させてくれる何者かの存在に気が付いた時、自分の生きる意義や自分を生かす道を知る事が出来るのです。
地位や名誉が自分を生かしているわけではなく。況や「お金」が自分を生かしてくれるわけでもない。
「お金」は、生きる為の手段になりえても、生きる目的にはなりえないのです。
人の命に限りある以上、地位も名誉も財産も限りある物です。
永遠不変なのは神の恩愛のみなのです。

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